今年3月に議会で成立したクシュネール法は、「寝たきり老人や、生命にかかわる重態の服役者で、釈放しても公序に反しない者は出獄させる」としている。 ナチス占領下、ジロンド県総務局長として約1600人のユダヤ人を強制収容所に移送し「人類に対する罪」の共犯罪で、98年4月に禁固10年の刑を受けたモーリス・パポン服役者。獄中生活3年目、92歳。 高齢と心臓疾患を理由にシラク大統領に3回恩赦を申請し、3回とも拒否された弁護団が飛びついたのはこの法律だった。 「寝たきり老人で重態」とパリ控訴院が判断したパポン服役者は9月18日、国民が予想していたような車椅子の「寝たきり老人」のイメージとはほど遠く足もともしっかりした姿で出獄し、ヴァロ弁護士と車で郊外の邸宅に向かったのである。 ユダヤ人犠牲者遺族が提訴し83年にパポンが検挙されて以来、被告側の時間稼ぎの遅滞作戦で予審に15年。ボルドー重罪院法廷では高齢と重病を訴えては国民の同情を買った、ヴィシー政府最後の生き残り元高官パポン被告。陪審員らも被告の年齢を考慮に入れ、禁固刑10年にしたのではなかったか。それを逆手にとり、罪への改悛の情はひとかけらも見せずに出獄する姿は、ユダヤ人原告側へのしっぺがえし以外のなにものでもないだろう。 ところが、彼の釈放がパポン事件のエピローグと思いきや、最後の保釈申請が却下された7月24日、皮肉にもこの日に、欧州人権裁判所は、パポン被告に禁固刑10年を宣告した裁判は「公正な裁判ではなかった」とし、フランス政府を罰するどんでん返しの判決を下したのである。 欧州人権裁判で争点となったのは、パポン被告が破棄院審議直前にスイスに逃亡し、「審議の前日に被告を刑務所に拘置する」というナポレオン法に基づく強制措置に応じなかったことで禁固刑10年が確定したことだ。同被告が出頭していたにしろ、被告に対するこの強制措置は、欧州人権憲章が保障する「人権と基本的自由」に違反するというわけである。 フランスでは、2000年6月15日に「推定無実」法が成立した際に、この強制措置は廃止されたのだが、パポン裁判時にはまだ有効だったわけである。 法律をてだまにとり、欧州人権法によって自国の刑法に「違反」のレッテルまで貼らせるしぶとさ。自分を「21世紀のドレフュス」とみなすパポンはこの判決を武器に、出獄後も弁護団と重罪院判決の再審を要求して闘いぬくかまえだ。 昨年2月、パポンの服役に対しバダンテール元法相が述べた「”人道に反する罪”とはいえときには人道こそ罪に優先すべきだ」という発言(No.473)が、クシュネール法成立の背景にあったと思われる。 が、パポンが犯した人類に対する罪とは、老若男女、病状に関係なく無差別に強制収容所に送った罪ではなかったか。60年後にその罪を償わせるにはパポンは高齢すぎるなら、なぜ他の一般犯罪の高齢服役者も同時に出獄させないのか? 誰しも問わずにはいられないだろう。(君) |
高齢・重態の服役者 |