初春の朝、オッシュ大通りの日本領事館。黒い床石と防弾ガラスに囲まれたカウンターの前に立っていた。この時にはすでにフランス国籍を取得していて、今これから日本国籍を放棄するためにそこに立っていた。足がなんとなく浮き立っているのを意識しながら、青山故郷の町役場から取り寄せた戸籍謄本など、必要書類を窓口の向こう側にいる若い係員に、その旨を告げて渡した。すると一瞬驚いた感じで、「よろしいんですか?」と聞くので、「返さなくてもいいのですか?」と逆に聞き返したら、「いいえ、返して頂きます」。「それでは返します」。このようなとても短いやりとりがあってすべての手続きが完了した。その間、2分もかからなかった、と思うが…こうして自分自ら日本国籍を離脱した。何のために? 今から約30年前の春、まさにエスカルゴのように、当時はカニ族と呼ばれていたが、横に長いリュックを担いで私はパリの北駅に着いた。フランス語は一言もしゃべれないし、英語も基礎会話さえ不自由な状態だった。21歳にもなって、その国の言葉もできないフランスで、金もなし、粗大ゴミのようなものだった。友だちと早速、中華レストランの皿洗いを半日ずつ始めて、残りの半日は必死になってフランス語の勉強をした。 その後、「アーアッ!」という間に30年が経ち、今は故郷に実家はなく、妻はフランス人で、子供たちと話す言葉はほとんどすべてフランス語になっている。友人だって、心が通うかどうかには人種、まして国籍はまったく関係しない。今後日本に帰って生活する可能性など大体ゼロなのに、国籍だけ日本のままでいるなんて、心のどこかに「イザとなったら日本に帰ればいいのだ!」などという気持ちを持ち続けていることだ。こんな態度は自分に対する裏切り行為ではないかと思い始めていた。これしかないという状態に自分を追い込むことで、これから残された人生をフランスでどのように生きるのか、試してみたい、と思う。フランス国籍を取ったからといって、バカ正直に日本国籍を返さなくても済むことは承知だったし、選挙権を除けば実質的に何のメリットがないことも知っていた。しかし、私にとって、この国籍の問題は、フランス共和国の一員になるということ。この多民族、多文化のルツボに飛び込むこと。そしてこれからどんな生き方をするのか? いつかフランスの大地の土になるとしたら、日本国籍という一つの逃げ道を断ち切って背水の陣を布く。そんな気持ちで私は総領事館を後にした。 サラバ祖国、日本。(健) |