TRE ( TRES) ATTACHE
私たちはそれこそなんにでもしばられることができます。たとえば、客間の暖炉の上を飾る花瓶に “être très attaché”(強くしばられる)とあったら、強く執着するという意味なのです。”tenir comme à la prunelle de ses yeux”(目の中の瞳のごとく大切にする)とか、”tenir comme à la peau de ses fesses” (お尻の皮膚のように大切にする)と同義です。ある人たちを結びつける “attachement”(愛情)には、 これほど誇張された喩えは必要ないでしょうが…なんといったらいいのか…ちょっと言葉が見つかりません。
“épuisé”という形容詞が生き物につくと「とても疲れた」という意味になります。同じように疲労状態を表す言い回しには、ほかにも “être crevé”(破裂した、くたばった→くたくたに疲れた)、”être au bout du rouleau”(巻きものの端にある→精神的に力が尽きた)、 “être sur les rotules”(膝の骨にまできた→くたくたに疲れた)、あるいは “avoir un coup de pompe”…。最初の三つの言い回しは理屈が通っていますが、最後の表現がわかりません。”pompe”が、自転車のタイヤなどをふくらますポンプのことなら、「元気にふくらんで」というような逆の意味になりそうです。第一、” être regonflé à bloc” (パンパンにふくらんだ→活気に満ちている)という表現があるくらいです。実は “un coup de pompe”は20世紀初めの飛行機用語で、エアポケットに入って飛行機が急落下することだったのです。そこから疲労へと連想されたのでしょう。話は変わりますが、”livre épuise”を「くたびれた本」と訳してはいけません。「売り切れになった本」という意味です。
さあ、イラストのような座り方を、一度でいいからトライしてみてください。二つの椅子のあいだに座るなんて、想像しただけで、今にも床に尻もちをついてしま
いそう。そうです、 “assis entre deux chaises”というのは、不安定で、リスクが大きく、居心地の悪い状態を意味するコジツケ表現です。”entre deux selles”(二つの鞍のあいだに)と、昔はもっとアクロバット的な座り方でしたが、意味は同じ。あからさまに “le cul entre deux chaises”(二つの椅子のあいだのお尻)などともいいますが、こちらは優柔不断な性格を指す言い回しです。
「どちらの椅子も座りやすいからなあ…」