1942~44年ジロンド県総務局長としてユダヤ人を逮捕、監禁したモーリス・パポンは”人道に反する罪”の共犯に問われ、フランスでは20世紀最後の元ナチ協力者として、1998年ボルドー重罪院で10年の禁固刑に処された。翌年10月に警備監視下の自宅からスイスに逃亡、数日後に逮捕され刑務所に収監されたのは、国民の記憶に鮮明に残っているはず。 サンテ刑務所の中でも、VIP級服役者として14m2の独房に16カ月目、91歳になるパポンに関し、元法務相バダンテール上院社会党議員が「この歳で刑務所に留めておくこと自体もはや意味があるとは思えない。…人道に反する罪とはいえ、時には人道こそ罪に優先すべきだと思う」と1月11日に発言した。彼の家族もナチス強制収容所で死んでおり、パポン裁判の原告の一人であったバダンテール氏の、高齢ゆえのパポン早期釈放論は、18年(!)かかって同裁判を実現できたユダヤ人犠牲者や遺族、弁護団に強い衝撃を与えており、司法関係者、市民の間で同氏の意見に反発する声が上がっている。 1999年以来、パポンはシラク大統領に健康を理由に恩赦を2回申請したが却下された。彼の弁護団は1月10日に欧州人権裁判所に「91歳の獄中生活は非人間的破壊的であり」人権国際憲章に違反するとし仏政府を相手取って提訴しており、バダンテール氏の発言はまさにタナからボタモチだろう。 ナチ協力者裁判の対象にならなかったパポンは、60年代ドゴール政権で警視総監、ジスカール内閣で経済相という高官僚を務めた自負からか、ナチ協力への悔悛は一切みせず無罪を主張し続けている。彼は自分を20世紀の被迫害者ドレフュスに例え、彼を告発したユダヤ人犠牲者たちを誣告罪(虚偽の事実で告発)で逆に訴え18年間彼の裁判を引き延ばしたのである。その間自分の財産全てを子供や孫に相続させており、判決による原告側への損害賠償金(約450万フラン)は、被告の弁済不能という理由で一切支払われていない。 89歳で終身刑が下ったペタン将軍は95歳でデュー島の獄中で果て、80年代以降に裁判にかけられたバルビー元ナチ親衛隊長も、トゥヴィエ元親独義勇軍隊長も終身刑で80歳近い高齢で獄中死している。ではどうして、パポンだけ年齢が問題視されるのか。現在、彼以外に90歳以上の服役者は3人いるのだが。 ユダヤ人犠牲者たちは個人的復讐よりも、いまだに精算されていないヴィシー政府の象徴としてパポン裁判に臨んだのでは。裁判で過去を直視することによって歴史の1頁をめくれるかどうかの意味が込められていたはずだ。パポンを高齢ゆえに釈放するとしたら、彼に科せられた歴史的意味が矮小化され、原告側の使命感をも踏みにじることになるのでは。 正義とヒューマニズムに優劣があるのか、バダンテール氏は司法を超えた哲学的な選択を国民に迫っていると言えよう。(君) *パポン関係記事(414号: 98/4/15, 447号: 99/11/15) |
高齢者の服役者が急増 (2000年1月) 359人 70歳以上 *過去5年間に60歳以上の服役者が5倍増。理由として、中年層以上の性犯罪の増加とみられる。 (Le Monde:2001/1/13, Libération:2001/1/19) |