パリにも広めたい鳶ズボン。職人着のこだわり、いま、むかし。

 近ごろの日本の工事・建設現場は華やかだ。工夫さんたちがバイオレット、ピンクなど鮮やかな色や、迷彩柄のズボンなどを着ている。若い鳶職人を抱える「鳶七建設」へ行ってみた。
 鳶職人は、昔は伸縮性のない股引をはいていた。これは将軍吉宗が町火消しを設けた時に定められたものだそうで、現在でも鳶職人の正装は当時のまま、股引・腹掛け・半纏だ。「でもあの股引は鳶には動きにくい。ずっと膝を曲げてるとしびれちゃう」とは鳶七の小泉社長。
 本当に不便だったのだろう、膝から上にゆとりのあるゴルフズボン、ニッカーボッカーズが導入されるや、たちまち
“現場” の主流となる。そこへ〈七分〉が登場。小泉社長の記憶では、七分が流行したのは昭和35年ごろ。彼がニッカーズをはいて鳶職デビューしたてのころであった。「当時、この辺(鎌倉)の鳶職はニッカがほとんどだったけど、横浜の職人と仕事をした時に、その七分ってのをはいてる奴がいてね。その真似をして俺がこの界隈でイチ早く七分をはいた」
 その後〈八分〉登場。これは七分の膨らみの部分が心持ち長くなったものだそうだが、こちらには見分けがつかない。しかし「今の若い連中のズボンはダボダボダボダボしてダラしがねぇや。あれで格好いいと思ってる。鉄筋なんかに引っかけて破ってる奴が多いや。よくあれで仕事ができると思うね」と小泉氏が言うように、プロの目には違いが明らかなようだ。八分は比較的最近のものなので、小泉氏はそれを着ることなく現場を退いている。21歳、鳶歴4年の福井氏「ニッカは年配の方が着てますね。僕たちは八分ばっかりです、寅壱(ブランド)の。やっぱりキレイな色があったほうが楽しいでしょう」。社長「最近はね、企業も色だの何だの、売れりゃいいって主義なんだな。昔は〈職人の履きやすい、動きやすいもの〉って考えて作ってたよ」。「実際、ダボダボしてるから引っかけて破ったりするんですけど、このごろは身のこなしを憶えてあまり破らなくなった」と若衆。動きやすいとはいえ「引っかかる」という致命的難点を持つ八分をあえて着る若者。「これが、流行なんだねぇ」と不可解そうに苦笑いする小泉社長。
 直足袋も変化する。小泉氏の時代はコハゼは多くて7枚、ケハン (直足袋の足袋の部分が無い、サポーターのようなものでふくらはぎを締める) をつけたりした。「力が出しやすいってのかな。違うんだよね、これを締めると。時々、朝
“現場行きたくねえな” なんて思う時もケハンや足袋のコハゼを締めていくとね、ピシっと、やる気が出てくるんだねえ、これが」。今はコハゼは10か12個。金髪の福井氏などは、本来大工だけが履く白い直足袋を履いて、小泉社長を驚かせたりするのだ。(美)

鳶七建設の若手3人。
左の多田氏(31歳)は、会社のユニホーム。
ズボンは寅壱〈超ロング八分〉。ハイソックスでズボンの裾を隠しさらに直足袋を履く、鳶の定番スタイル。21歳の福井氏と小池氏は〈超超ロング八分〉「もちろん寅壱!」。仕事時はやはり直足袋を履き、ふくらはぎを締めるが、写真は「仕事終了、直足袋脱いでリラックス」のスタイル。福井氏はトライチブルーという非常に鮮やかな水色。全てポリエステル90%。ムレませんか?「我慢できないムレではない」しかし、ハイソックスのゴムの辺りはかゆくなったりもする。冬は寒いので、この下にジャージーを着用。
戦前に足袋屋として開業した「たび真」にて。〈七分〉ズボン。

「鳶」というブランドのニッカーボッカーズをはいた人(横浜)。「寅壱」とは対照的に、綿100%、色も青、黒などの硬派路線をゆく根強い人気ブランド。


 

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