1960年代、テレビでは討論の番組があまりありませんでした。そのころ、テレビ局は情報省の管轄にあり、番組の内容まで情報相が直接決定していました。ニュース番組ですら、ジャーナリストがルポのテーマをあらかじめ政府に提出していたので、独立性が全然ありませんでした。テレビは言論の自由の正反対のものだったのです。当時テレビの普及率は41%にすぎませんでしたが、学生にとってテレビは政府のシンボルでした。 ですから、1968年5月の運動が始まって、テレビ局のジャーナリストたちが、政府の支配と断絶したいと意思表示したのは、信じられないことでした。ORTFと呼ばれていたフランス放送協会は、学生運動と同時に燃え上がりました。ジャーナリストたちは表現の自由とルポのテーマを自由に決定する権利を要求し、政府は譲歩せざるをえませんでした。1968年からしばらく、フランスのテレビには自由の気運が満ちていました。この自由のシンボルはテレビ討論です。 70代と80年代に、討論会はテレビの大切な番組となり、毎週日曜日と月曜日に討論会がありました。フランス人は政治家の燃えるような論争が大好きでした。ところが、政界のスキャンダルでこの興味をだんだん失い、90年代から、討論番組と政治番組はなくなっています。そこで、テレビに出たがる政治家はバラエティー・ショーに登場しています。特に日曜日の国営FRANCE 2が放映しているVivement Dimancheは新しいタイプの政治ショーになりました。(クロード) *Vivement dimanche, 日曜日13h35 |