ラスタの自然な生き方に憧れて…。

 20区の “Fleche d’or”、レゲエ・コンサートの夜は見事なドレッド (縄のような髪束) のラスタマンたちが集まる。「ラスタはファッションじゃない! (心臓をたたきながら) ここの問題だよ」とレゲエのミュージシャンたちがいう背後で、ラスタグッズの行商人が、エチオピア国旗の赤・緑・黄色の三色に縁取られたハイレ・セラシエ1世の肖像入りペンダントや、ボブ・マーリーTシャツ、ドレッドを収める大きな帽子などを並べる。

 ラスタファリアニスムは1920年代後半に興った黒人の地位向上運動に根源を持ち、聖書の言葉を軸にしながら、1930年に即位したエチオピアの黒人の皇帝ハイレ・セラシエ1世 (ラス・タファリ) を黒人の救世主と仰ぐ宗教だ。1935年にエチオピアがイタリアに侵略され皇帝が亡命した時、エチオピアの戦士たちは「皇帝が玉座に戻るまで髪を切らない」と誓った。以来、ラスタファリアニスムは特にジャマイカで支持されるようになったが、政府は彼らのドレッドを暴徒の印とみなし弾圧した。それに負けずドレッドと信仰心を維持し、貧しさのなかで理想を持ち続けたラスタファリアンたちの強い生き方! 髪だけでも真似したくなる。アフリカではコプト教の聖職者がドレッドだったり、各地で髪型により社会的地位を表したりする習慣があるが、ジャマイカのドレッドは東インドから奴隷として連行されたヒンズー教聖者の影響を受けたといわれる。

 コンサート会場に「シャトレ・レ・アール」を歌ったムシャパタが現れた。かつてはボクサーだった彼は、試合前に食事に薬を盛られたり、マネージャーにギャラを横取りされたりするのに我慢ができず、リングを後にしガードマンの仕事をするようになったのだが、1981年、ボブ・マーリーのボディーガードに任命されレゲエと出会い、ミュージシャンになった。「政治批判で逮捕されてレコード会社から切られ、現在レコードは自主制作」という厳しい状況。フレンチ・レゲエ ” 地下の帝王” だ。見事なドレッドは櫛を入れず、何もつけず自然のままにしているだけ。数年前までバンド仲間だったスマーティーは帽子をとると丸坊主。最近、アビジャンの祖母を亡くしたので哀悼のため、腰まであった15年来のドレッドを剃ったばかり。「水に濡れた後はドレッドはさらに固くなる。ドレッドをロープ代わりにして地上6メートルの牢獄の窓から塀を降りて逃げた奴だっているくらいさ!」とスマーティー。

 縮れた髪は自然にドレッドになるかもしれないが、直毛だと手がかかる。サン・ドニ通りのカーヴの暗がりの中、DJのリズムで踊っていた金髪の高校生は、一年前からポマードをつけて毛束をよじってドレッドにしていると言っていた。日本なら校則違反で職員室に呼ばれるところだが、「先生も親も自由にさせてくれる」とのこと。それでは、やりがいがないのでは? と心配になったりもする。(美)


ムシャパタとスマーティー。

ミュージシャンのコフィー。

ジュリアン君はボブ・マーリーの世界に魅せられて4年前からドレッドに。直毛なので、シャンプー後はよじったり、毛束を引っ張ったり、輪ゴムでとめたりする。