なぜハイダー党首を怖がるの ?

 オーストリアのケルンテン州で知事を務め、スターなみのスキールックで移民排斥を説き、労働者層や高年層に未来のホープと称えられているのに、外国のメディアでは “ヒトラーの再来?”とまで警戒される、右翼政党自由党ハイダー党首(50歳)。
 昨年10月3日の総選挙で社民党に次ぎ第2党にのし上がったハイダー党首の率いる自由党(27%)と、シュッセル前副首相兼外相が率いる保守国民党との連立政権樹立(2/3日)で、フランスを筆頭にEU14カ国はなかばパニック状態に陥っている。フランスのマスコミでも “欧州の恥”、”憎悪の商人ハイダー”といった派手なタイトルで、今日のオーストリアが抱える問題の根源と歴史的土壌を分析する記事が紙面をにぎわせている。
 13世紀以来全欧最強のハプスブルグ家が支配してきたオーストリアは、1919年第1次大戦敗戦後オーストリア-ハンガリー複合帝国を解体され、国土も9分の1に縮小され、共和国としてゼロから出発した。この時期に青年期にあったヒトラーはドイツに移住し、19年にドイツ労働党に入党。21年ナチス党首になり、38年祖国オーストリアを第三帝国に併合した。同国の国民投票で99.75%がこの併合を支持している。以来ホロコーストに関ったナチス幹部の4割はオーストリア人(例えばアンネ・フランク一家を逮捕したのも同国人警部)だったという。国内でも約80万人のユダヤ人が殺掠されている。当時ハイダー氏の父親はナチス地方党活動家、母親もナチス婦人同盟幹部、叔父もナチス党員だったということは偶然ではなく、国民の大半がナチスと一体化していた状態を示してはいないか。元国連議長ワルトハイム前大統領も第2次大戦時にドイツ軍将校だった。87年に彼の経歴が暴露され国際社会から締め出されている。これらは、オーストリアでタブー視されてきた過去の氷山の一角にすぎない。
 オーストリアは45年敗戦時にドイツから切り離され、戦後10年間、英米仏ソ4カ国の共同管理下に置かれた。連合国は同国をナチの荷担国でなく”ナチの被害国”とみなし55年に永世中立国を発足させた。
 ドイツでは68年世代以降、戦前社会が生んだナチスという”原罪”への自戒がなされ戦前からの脱皮がなされたのに対し、オーストリアはハイダー氏の言葉を借りれば、「イデオロギーが流産した」状態で戦前の延長上に現在があるともいえる。そして45年以来、経済的な豊かさ(失業率4%)にあぐらをかいて、社民党と国民党は2党なれあいの政治的安逸をむさぼってきた。
 それがいま、EUの最東部オーストリアには東欧移民が押し寄せている。EU拡大への危惧感は他のEU国民より強く、人的経済的グローバリゼーションに呑み込まれることへの危機感は、ますますハイダー党首の地盤を固めていくだろう。
 2月19日ウィーンを始めパリや他のEUの都市でハイダーへの拒否反応を示す抗議デモが行われた。”ハイダー=ヒトラー!” のシュプレヒコールが、ヨーデルを聞き慣れたオーストリア国民の耳に警報となって響けばいいのだが‥‥。(君)


オーストリアの保守右翼連立を危惧する
55% フランス人全体で
75% 大学出の幹部クラス
42% 中高卒
43% 商人・企業主
38% 全然/あまり危惧していない
*CSA統計院が1/28-29日に全国1000人を対象に
行った世論調査(Le Monde : 2000/2/2)