収穫
収穫期は一般的に、長くても3カ月以上に及ぶことはない。おおよそ、6月中旬に始まって、9月中旬には終了する。しかし年によっては9月末まで続く。
収穫する塩の種類は二通りある。「グロ・セル 粗塩」と呼ばれる結晶体の比較的大きい、多少灰色がかった塩と、「フルール・ド・セル 塩の花」と呼ばれる細かい結晶で、軽く非常に白い色をした塩だ。後者は採塩池の水面に最初に浮き上がって結晶し、それをそっと掬い取るように収穫するのである。荒塩の収穫量に比べると10分の1から20分の1だが、純度が高いこともあって値段もずっと高い。
塩職人はオイエで、ラデュールと呼ばれる畦道の真ん中に作られた円形の場所に塩を集める。ラスという最低5 mほどある長いさおの先に木の板がついたスキージを使って、オイエの床をえぐらないように上手に塩の結晶だけを、まず床からローリングするように引き離して
からラデュールに向かってよせ集める。そしてラデュールの上に小山の円錐形状に盛り付ける。
塩職人は、収穫を始める前に、オイエの入り口にあるスレート板の小さな水門を開放し、塩田にまず「一杯のませる」のである。この水門の開け閉めで、塩田の水量を調節する。塩職人の大切な作業だ。
オイエでは、平均年間1.3トン、1日40~50 kgの収穫がある。1人の塩職人は平均60ほどのオイエを持つ。塩職人は夏の間、ヨーロッパ独特の日の長さを利用して、ほぼ1日12時間くらいまで作業することができる。塩職人はそれぞれ所有している塩田の固有の性格を知り尽くしていなければならない。だから「塩田を自分の妻を愛するように愛せ」と熟練職人は言うのである。「今日は小雨が降るからといって、一日、塩田を見に行かなかったりすると、カニが水門の横に穴を空けてしまって、15日間、収穫できるはずの塩が台なしになる」ことがあるという。というわけで、塩職人は常に態勢を整えていなければならず、それぞれの塩田の状態を把握しておかなくてはならない。天然塩は太陽と風が自然に作ってくれるものと決め込んで、昼寝などしていられないのだ。日々、陽光の強さ、風向き、空気の湿り具合、塩田の状態、水路の状態、水の温度などに常に気を配っていなくてはならないのだ。また炎天下で、手早く塩をかき取ってゆく作業は敏速な動きと判断が求められる。この点ではまったく一般農業以上に、天候にほとんど依存した営みだ。陽光と風がうまく作用しないことには塩がうまく結晶しないからだ。潮の満ち引きも風向きも塩職人にとって、重要な判断の基準になる。風は風でも湿った風と乾燥した風、海風と陸風である。またそれらには強風と弱風がある。
夏の素晴らしい天候が早く始まる年には5月末頃から収穫を始めなければならないときがある。このような年は、毎日収穫を確実に行う必要がある。さもないと塩田が塩の結晶でこびりついてしまって、塩田の床が使い物にならなくなるということが起こるからだ。
貯蔵
塩はそれぞれのオイエのラデュールに盛り上げた後、畑の脇のトレメまでトロッコで運び、小山状に堆積させておく。その後は、ブルドーザーとトラクターで貯蔵場まで運ぶ。以前は馬車で運んだ。
塩はトラックごと重量を計られた後、サロルジュと呼ばれる貯蔵倉庫にストックされるか、外部に山のように置かれ、ビニールシートをかけて保管される。その後、1年から2年以上寝かせて水分を抜いてからふるいにかけ、化学処理や水洗等を施さずに梱包する。
保全
塩職人が最も精を出すのは夏の収穫期だ。毎年、翌年のために塩田の床作りをきちんとやり、水路を灌漑し、よい状態に維持しておく作業は大変だ。しかし、この仕事なしには良質の塩生産は期待できない。床が平らに整備されていないと、収穫の時に粘土が混入してしまい、塩の質が低下する。この整備の作業は年間通して行われ、特に冬から春先にかけて大きな作業を集団でする。収穫が終わるとロティ全体を水で覆い、乾燥しすぎたり、冬の霜などで畦道や水路が傷むのを避けるのである。
冬季には、まず溜め池であるヴァジエールを整備する。ここに藻や海草が繁殖しすぎたりすると除去したり、2年ごとに1回きれいに排水して洗う。この作業には平均24日かかる。エチエと呼ばれる給水路は共有のものだから、関係している塩職人たち皆の共同作業である。そして春まで塩田を保護するために水没させておく。
春になると、塩田を収穫できるように再整備する。冬に満たしておいた海水をほとんど排水する。エチエの不必要になった余分の粘土質の土をかき出し、それで畦道を補強整備し、底を整備し直す。ファールを掃除する。
オイエの水を抜き、粘土質の床を汚点一つない平らな面に作り直す。そして数時間後に水を入れるのだ。
ゲランド塩の特性
ゲランドの天日塩の特徴はなんといっても、塩化ナトリウム以外のミネラル成分が豊富で、特にマグネシウムが多く含まれていることだろう。南仏と違い、大西洋岸の陽光と風が穏やかなため、ゆっくりした速度で結晶が進行し、その時間の長さがそれだけミネラル成分を取り込むことを可能にしている。そこが、この塩のおいしさであり、上質だとされるゆえんである。だから、南フランスのエーグ・モルトなどのように大型の収穫トラクターで一挙に大量の塩を取るようにはいかない。しかし、こうした気候と職人的なやり方によって、ゲランド塩の特色が与えられてもいるのだ。もちろん、ミネラル分が多ければ多いほどおいしいというわけではない。全体のしお辛さ、苦み、甘みなどがほどよく交わっていることが大切だ。
湿地帯の一つであるゲランド塩田の生態系を観察すると、単細胞の微小な植物プランクトンが発生しているのがわかる。その代表的なものが、デュナリヤ・サリナと呼ばれる海藻の一種で、夏の塩田の採塩池オイエを見ると、その繁殖のせいで水の色が赤っぽくなっている。デュナリヤは、生きている間、また死ぬときにミネラル塩を排出する。そのミネラル塩をとり込んで結晶したゲランド塩は、そのせいでマグネシウムやポタシウムなどのミネラル分が豊かなのである。また、淡いスミレのような香りと独特な風味は、デュナリヤのおかげである。また年によって、デュナリヤの排出成分が変わるので、塩の味も毎年微妙に変わる。とりわけ、「フルール・ド・セル塩の花」と呼んでいる、塩田の水面に最初に結晶したものを手作業で掬い取った初摘みの塩は、このような特質を持っているため高く評価されていて、とりわけ、多くのフランス料理のシェフの推奨するところとなっている。
床に沈んで大きな粒に結晶する粗塩はグロ・セル、あるいはグロ・グリ(灰色の粗塩)と呼ばれ、料理一般に広く使われている。今まで使っていた食卓塩をこのグロ・セルに変えるだけで、確実に料理の腕前が三倍くらいあがることは請け合える。
またゲランド塩は、地中海の塩に比べて水に溶解しやすく、すぐ体内に吸収されるため、ダイエット上の効果も高い。またこのような自然海塩は喘息や皮膚アレルギーなどにも効果があることから、タラソテラピーや他の自然療法にも使用されている。
塩田復興運動
しかし、このゲランド塩田が、70年代初頭のリゾート開発の荒波の中で、この希少な営みを滅ぼさずにこれたのは、「68年5月」を体験した大卒のよそから来た青年たちによるところが大だ。彼らが「自然に還れ」の合言葉の中で、高度産業化社会を拒否したとき、自然を元にした地元伝統産業が見直され、塩田復興運動が始まったのだ。それが30年続いてきた。そうしてやっとゲランド塩田は国定保護地認定を獲得、ラムサール条約にも指定された。高品質食品認定マークである赤ラベルも獲得した。彼らは品質の高い製塩を続けながら、沿岸や環境保護にも力を入れている。この塩田には無数の野鳥が飛来する。彼らは「塩の家」を設立し、野鳥保護連盟とも共同作業をしながら、生態系保護の大切さを訴える運動にも参加している。このゲランド塩田は湿地帯の中でも非常に貴重なエコシステムの聖地なのである。
しかし、ここへ来て、タンカーの重油汚染である。新しい闘いをしなくてはならなくなった。塩を守ることは海を守ることでもあるからだ。海が汚れてはたまらない。幸い、彼らの塩田は防波堤にしっかり保護されているし、大洋の荒波が直接打ち寄せる区域ではないから全く安心だ。だが今度は海を守るために立ち上がらなくてはならない。頑張れパルディエ!
(コリン・コバヤシ)