「ナージャの村」、それはチェルノブイリの北東一七○キロの所にある、八歳のナージャが生まれ育ったドゥヂチ村だ。あの忌わしい原発事故が起きる以前は三百所帯が大自然のふところで平和に暮らしていた。しかし今、大地が半永久的に核に冒されていようと村を離れようとしない六家族、計十五人が、廃屋と廃校だけが残る孤島と化した村で昔ながらの生活を営んでいる。そのひとりひとりが織りなす物語を写真家、本橋成一監督が四季をとおしてドキュメンタリー映画にしたのが「ナージャの村」だ。
春は満開の桜が村を包みこむ。夏はさんさんと輝く太陽の下で、トマトやじゃがいもや麦の収穫と、すべてが燃え上がる夕焼け。秋は黄金色の葉を踏みながら茸採りやペチカ用の薪切り。そして冬、凍りついた白と黒のシルエットを前にして「暖かくなったら種を蒔こう」とつぶやく八十二歳のチャイユバーバ。そうした大地の息遣いを、木々のささやきを、村人たちの喜怒哀楽を、小室等の音楽が奏でていく。
しかし、人間に核という原罪を負わされた大地は、村人たちに恵みを与えたくも、もはや放射能に冒された自然しか与えられない不条理を無言で耐えているのである。それを知りながらも、移住者が亡骸となって戻ってくる故郷ではなく、自分たちが生きている郷土に、その大地に足をふんばって生きている村人十五人の姿。現代技術は大自然を、人間が必要とする環境をどこまで破壊すれば気がすむのだろうか。
「ナージャの村」は昨年のベルリン映画祭招待作品で、十一月十二日パリ郊外オーベルヴィリエの映画祭でも上映され、町内の中学のクラスも観にきていた。パリ市内では一月下旬に数館で上映されるそうです。チェルノブイリを身近に感じれば感じるほど、青少年たちにもぜひ観てほしいと思う。(鳩)