ヴァン・ゴッホに憧れた若きニース人がゴッホのように名前だけを署名してから、アルマン・ピエール・フェルナンデスはアルマンとなった。 フランスの60年代初頭の大きな美術運動「ヌーヴォーレアリズム」のリーダー、アルマンの初の回顧展である。仲間のティンゲリー、スペーリ、クラインと、ニースやパリを中心に活躍し、既成工業製品の集積による作品、例えばサン・ラザール駅前のバゲージ、時計を集積した塔でも有名だ。 60年代初期の「ごみ箱」と呼ばれるシリーズはなかでも最もラディカルな試みだった。家庭で出たあらゆるゴミを透明な箱に封じ込めたもので、中には、「女性の条件」とタイトルされた浴室のゴミによる集積で、髪の毛や血のついた女性の生理用品まで詰めた作品、「ブルジョアの小さなゴミ」という、カマンベールや8ミリフィルムなどが詰まったものもある。62年のイリス・クレール画廊での個展では、ピエール神父のエマウスに頼んで、壊れた家具で画廊内部を埋め尽くした。それはイヴ・クラインが、同じ画廊で60年に画廊を空にした 「無」という個展の対極だった。 その後、あらゆる工業製品の集積結果が作品になった。無論アルマンの美的センスで絵画的に見事に配分されて。かくして彼の表現は、はからずも大量生産、大量消費時代の象徴的な証言になった。毒ガスマスクの集積「ホーム・スイート・ホーム」は、当時始まったベトナム戦争を想起しないわけにはいかない。 他方、「怒り」のシリーズは、バイオリン等の楽器、椅子、タイプライターなどをたたき割ったり、燃やしたりしている。そこでは破壊そのもののエネルギーが美学になった。また何十台もの自動車をコンクリート詰めにしてタワーにした作品は、まさに自動車社会の反証となっている。 (kolin) * Jeu de Paume : 4月12日まで |