超不死鳥ついに死す

 

 高速増殖炉スーパーフェニックス (SPX)建設反対の10万人のデモが1977年7月31日にクレイ・マルヴィルで行なわれてから20年経ったこの夏、当時、機動隊の榴弾を顔面に受け、 31歳で亡くなった物理教師ヴィタル・ミシャロン氏を偲ぶ記念祭と、SPX 閉鎖の正式決定を要求する集会が、約千人の参加者を集めて地元で開かれた。
 地元の委員会に加わっているイヴ・フランソワさんと夫人の恭子(クニコ)さんが今回の記念祭実現に大きな役割を果たした。恭子さんは、80年に通訳の仕事でここを訪れたときに知りあった農業を営むイヴさんと結婚し、81年からSPXとは目と鼻の先ほどの距離に住んでいる。万が一の場合、子供たちの未来を思うと不安になったりするが、「恐ろしい」と思ったことは一度もないという。彼女にとって、原発の問題は「近くにあるからこわいのではなく、地球全体の問題」なのだ。
 同じ敷地内に住むイヴさんの父親は村会議員を4期務め、最初からSPX高速増殖炉高速増殖炉高速増殖炉に反対してきた。’77年の当日はデモを指揮するリーダーの一人だったが、機動隊に事前規制されて家から一歩も出られなかった。彼は徒党を組むことを好まず、乱暴な方法論も認めない信条で、個人として反対し続けている。今では、バイオマスガス(動物の糞を醗酵させてガスに還元する)発電システムを自ら考案して作り、電力会社に電気を売っているほどだ。イヴさんもSPXに反対だが、父親と同じく、運動に加わって活動家になることはなかった。ただ環境問題は重要だと考えて、地元の農業組合の環境委員会の委員長を務め水問題に取り組んできた。イヴさんと恭子さんは身の丈にあったかたちで意思表示をしたいと思っているのだ。
 ただ今回は、’77年のデモに兵役のため参加できなかった残念さと、開発側推進派の最後の悪あがきへの怒りもあって、初めて地元の運動を組織しようと、閉鎖を要求する委員会設立に立ち上がった。様々な反対運動のメンバーやエコロジストたちが訪れては会合を繰り返す。
 記念行事は7月31日から始まり、推進派の音響妨害にあって、会場を変更させられたが、まず科学アカデミー会員で世界的自然科学者テオドール・モノー博士を中心に60人が48時間の断食。最終日の記者会見では、イヴさんは地元委員会を代表して演説、恭子さんは日本でも起きた同様の反対運動「ストップ・ザ・もんじゅ」の声明を読み上げた。もんじゅ反対の署名が百万人を越えたというところで大喝采が起こった。その後、ミシャロン氏の記念碑までデモ、環境相代理が追悼の辞を読み上げて散会した。
 確かにこの20年間に、時代は大きく変わった。少数派のエコロジー政党から環境大臣が出て、巨額をかけたSPXの閉鎖が決定された。だが、政令が公布されるまでは油断できない。核ロビーの圧力は相当強い。それはこの閉鎖が核再処理サイクル全体を問い直すことになるからだ。SPX解体まで、闘いはまだまだ続くだろう。   (プチ・ポア)

 


 

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