1858年9月、下田の港にフランスの軍艦ラプラス号ほか2隻が錨を下ろした。乗っていたのはナポレオン3世から江戸幕府との通商条約の交渉を委任された全権代表ジャン=バティスト=ルイ・グロ男爵率いるフランスの使節団。幕府が列強と締結した外交条約に対する朝廷からの批判、攘夷の機運の高まりなどを背景に、江戸への上陸は困難を極めたものの、9月27日から港区愛宕にある真福寺で協議が始められ、10月9日、日仏修好通商条約が締結された。
その日からちょうど160年後の、今月9日。木寺昌人駐仏日本大使が、パリ北郊ラ・クルヌーヴ市にあるフランス外務省資料館へ赴き、日仏修好通商条約の原本を閲覧した。フランス語と、漢字仮名交じり、カタカナで書かれたもの3部があり、水野筑後守忠徳など5人の老中が署名し花押が据えられている。批准される前なので「仮条約」と書かれているが、調印されたこの書類こそ、日仏修好通商条約の原本。日本側の原本は関東大震災で痛みがひどく補修後も公開は難しいそうだ。
この日、東京のフランス大使館はローラン・ピック駐日フランス大使の条約締結160周年への賛辞をツイート。東京スカイツリーはトリコロールに染まり《ジャポニスム2018》は今まさしく宴たけなわ、である。(六)