昨年のカンヌ映画祭 《ある視点》部門招待作、ドイツのウルリッヒ・ケラー監督『In My Room』(1/9公開)をまったく予備知識なしに観ると煙に巻かれます。
あまりパッとしない中年男が実家に帰って来ると、父親が、もう長くはなさそうな老母を自宅にひきとって介護している。死と人間のモラルを扱った社会派ドラマかと思って観ていると、え~何?何がどうなってるの?という、近未来SFか?みたいなことに映画は突然変異。ここでストーリーをバラすと、観客の驚きが半減するので避けたいのだが、この先を書かないと映画紹介ができないので、驚きたい人は観た後で読んで下さい。
主人公は、車で実家を出て橋の下に車を停めてうたた寝。翌朝目覚めるとなんか変。人類が地上から姿を消している。人間が蒸発した以外、地球に変化はない。物質も自然も、人類以外の動物もそのままだ。映画は無人島にたどり着いた一人の生存者ならぬ、地球に取り残された、たった一人の人類♂の物語になってゆく。男はだんだん自然に帰ってゆく、自給自足の生活を強いられる。人間やればできるのだということを実践、証明してくれる。観客も男といっしょになんか自然に回帰したゆとりの生活をエンジョイし始める。
と、やはり登場するのだ。残された〈人類その2〉の♀が。男と女は牽制、警戒しながらも、ここは当然愛し合うようになるが、男の思いに反して、女は子孫を作ることを断固拒む。何故だ……?
前半の現実社会で、踏ん切りのつかないぼやけた存在だった男は、寓話的で非現実的な地球に取り残されてから頼もしい男になってゆく。人間社会の束縛を解かれ、自由になって活き活きしている。現代人がしゃんとするにはこんなカンフル剤が要るのか?
題名は「暗くなってきて独りだけど、私は恐がらない。自分の部屋にいるからね」というビーチボーイズの『In My Room』に由来。(吉)