S氏(75)は東京は浅草生まれ。父は歌舞伎役者女形のかんざし作りの職人だった。工業高校卒業後、建設会社に勤める。東京で英語を教えていた仏人教師と出会う。1966年、24歳の時、シベリア経由で渡仏し、パリへ。リドで2年間、舞台装置の仕事をした後、建設会社で働く。10年前にパーキンソン病になり、6カ月に1回、病院に治療に通う。
パリで最初に働かれた建設会社をどのように見つけられましたか?どなたかの紹介で?
職業別の電話帳で探しました。68年パリ騒動の思い出として残っているのは、危機状態が続くと思われ、ジャガイモを買いあさったことです。わたしは中学生時代から、女の子にはまるっきり興味がなく、むしろ男の子に惹かれました。68年以後のフランスの社会は性の解放というか、フェミニズムと共に同性愛、ホモセクシャル趣向もおおっぴらに表せるようになりました。
同性との付き合いは、かなり体験しました。エールフランスのパイロットや銀行員…など。ある友人が地方で花屋を開くというので、その資金を出したのですが、80年代に入ってエイズにかかり、亡くなってしまいました。当時わたしは40代でしたから、付き合った友だちのなかで10人近くがエイズで倒れてしまいました。幸いにわたしはエイズにはならずに、パーキンソン病と付き合っています。
50年以上パリに住まわれていますが、ご自分を日本人と思いますか?
日本人だと思うのは、年1回大使館に日本の年金の更新を届出に行くときくらいです。この5月に50年ぶりに帰国します。相当浦島太郎になっていることでしょうね。姉がいますが、パリに来たことはありません。お互いに50年間どんな暮らしをしてきたのかも知りません。 定年後は、年金と、パーキンソン病になって以来、身体障害者手当も受けながら、20年以上前に購入したステュディオで暮らしています。杖を使って歩いていますが、人と話すのも難しくなってきており、定期的に介護サービスの人が、買物から掃除までしてくれます。
現在はアルジェリア人青年と暮らしています。男女関係も同じだと思いますが、男同士でも女同士でも気が合うかどうかだと思います。