H氏(69)は1947年、千葉県に生まれ、7人兄弟の5人目。父親は住職を経て国語教師に。16歳の時、ヒッチハイクで日本全国を回る。エンジニアとして働きお金を貯め、3年間オセアニア、南太平洋、アジア諸国を回る旅に出る。1976年、パリにたどり着いた時は29歳だった。1年後、ホテルのレセプション、その後和食レストランに就職し、定年近くまで勤める。
フランス人の奥さんとはどこで出会いました?
『兼高かおる世界の旅』に魅せられて旅に出、インドネシアで彼女と出会いました。私とは逆にフランスからアジアに向かっていたのです。私たちは意気投合し、そのあとわたしはトルコ、ギリシャをまわってパリに着きました。彼女との間に息子1人、再婚した日本人女性との間に娘と息子がいます。初孫は2歳半です。
パリでの日仏、そして日日家庭の中での日常会話は日本語? それともフランス語ですか?
息子には日本語を教え、漢字まで教えました。 私は家庭では日本語しか使わないようにしました。 日日家庭での母親は子供にフランス語で話し、日本語はあまり使いませんでした。この面でかなり衝突しました。週に2日預かる孫には日本語を使います。日仏語を使い分ける幼児の脳力に驚かされます。私は世界のどこででも暮らせる中国人は素晴らしいと思います。家庭内で中国語しか使わないのです。これを見て自信を持ちました。世界のグローバル化の中で、私たちは子供に何を残すべきだと思いますか?私は、それぞれの国の文化と言葉だと思っています。
退職後はどのような活動をなさっていますか。
レストランで働いていた頃はソフトボールの 選手でした。十数年前から近所の中高生に無料で日本語を教えています。その一人はINALCO(国立東洋言語文化学院)に入れました。あとは、パリ郊外の菜園で何種類かの和野菜を作っています。土をいじるのは精神的にもいいです。それにパリで句会や歌会に参加し日本語を楽しんでいます。人間と言葉…、日本語でしか表せないニュアンス、言葉の色、柔らかさ、かたちまで、世界の共通語といわれる英語でどこまで表現できるでしょうか。日本を離れていても母国の言葉と文化、「海外の日本語」を保存することは大事だと思います。