菅氏は1939年、東京生まれ。父は京大法学部を出、日本鋼管に勤務。菅氏は上智大卒業後1963年から大手航空会社に就職。2歳年上の自由学園卒の妻とは大学で知り合い結婚、生涯の伴侶に。定年後は息子2人、孫たちに囲まれ第二の故郷パリ郊外で50年来生活。数年前からエッセイ「フランス通信」を定期的にネット配信し、充実した定年生活を送る。
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1964年東京五輪の時はフランスの航空会社で働いていました。当時はメールもファックスもなかったので、関係者と連絡をとる時は、自転車で仏選手村に通いました。オルリー勤務時もソロバンを使っていたりと、50年前の昔と今では隔世の感がありますね。ジャンボ機開始時に日系大手航空会社に入り、品質管理(盗難も含む)まで担当し、領事館のお手伝いも。
妻は専業主婦として2児を育て、私たちは家で日本語しか使いませんでした。フランスで生まれた子どもは18歳になると国籍を選べるのですが、長男は日本を選びました。両親が日本人なのだから当然とも言えますが、息子たち2人とも仏女性と結婚し、40代過ぎても日本に住むわけでもなく社会保障の面でもフランス人になった方が有利だと、数年前にフランスに帰化。彼らの子どもたちに対しても「パパもフランス人」と言えば、家族としての一体感を持てるのでは。ドラマーだった長男は学校の音楽教員になり、次男はグラフィストとして働いています。最近日仏カップルの親権・別離問題が話題になっています。なかには夫婦どちらの母国語でもない英語を使うケースが増えていますが、子どもは親の言語を通して育つわけで、両親が第3の言語を話す場合、3-4 歳児はどの言葉を理解し使えばいいのか、特に日本語と仏語の交通整理は大変だと思います。言語の他に文化的な要素も伴うのですから。ツイッターやフェイスブックで英語や日本語で通じたとしても、本当の意味でのコミュニケーションができたとは限らないのでは?個々のアイデンティティは言語でしか表せないとしたら…。50年来パリで暮らしていますが、美しい日本語を自分の言葉として見失うまいと思うのは、年取ったからではなく母国語で文を綴っているからでしょうか。物的グローバリゼーションに抗し得るのは言語しかないのでは。