マダム・キミのシルバーラウンジ2018年7月1日号

 

 下野さんは鹿児島県山地で1946年に生まれた。竹細工職人だった父は彼が中学に入る頃村の職員に採用され月々給与を貰えるようになった。高校の先生が機内食関係で働く人を紹介してくれ、機内食の会社に7年勤務。その後、西ベルリンのヒルトンホテルに2年勤務。TV番組『われら世界に生きる包丁一本ベルリンへ』に出演。ロンドンを経てパリに到着。

  終戦直後に生まれ鹿児島で育ったのですね。
  家には7人の兄弟姉妹がいたのですが、そのうちの3人が亡くなり残ったのは4人の兄弟。昭和天皇と美智子皇后が結婚した頃、初めて食べたバナナの味を今でも忘れません。

  パリではどのようなお仕事を?
  ベルリンで知り合ったH氏からパリで焼鳥レストランを開くので来ないかという誘いがあり、モンパルナス、サントノーレ、サンミシェル店で数年ずつ、82年まで働き、同レストラン・チェーンの支配人にまでなりました。

  奥さんとはどこでお知り合いになりましたか?

  彼女は日本が好きで、14歳くらいから日本のペンフレンドをもっていました。そして日本食も好きで、よくレストランに食べに来ていました。そのうちに会話を交わすようになり、といってもわたしはアリアンスに行くひまもなく、耳から覚えたフランス語ですが。07年ひざの血栓症になり鹿児島に帰り、母の世話をしながら3年いる間に叔父が畑を持っていたので菜園いじりを始めました。マリー=フランスは暖房器具・衛生設備会社の社長秘書だったのですが、数年付き合い81年に35歳で結婚しました。彼女はシャンパーニュ地方で生まれ、口数も少なくどこか日本女性の素朴さでしょうか、私が言いたいことを察して彼女の両親に代弁してくれます。最初の子供ができた後、私が経営するレストランの会計を手伝ってくれました。82年、15区に店を出し62歳で定年退職した後、パリから90キロ南の村の荒地を買って菜園にし有機農産物と果物を栽培しています。ビニールハウスを自分で設置し、トマトだけで10種類栽培しています。収穫物はパリの数人の友人に配っています。
 私には土を相手に野菜や果物と会話するのが向いているようです。空と相談しながらの余生ですが、これでいいのではないかと思います。