マダム・キミのシルバーラウンジ:6月1日号

N氏(72)は、名古屋市に生まれ、日大建築科卒、早稲田大学建築学科研究室、東京理科大で助手を務める。学園騒動の煽りで海外に出た。
 どうして建築方面に進まれたのですか?
 少年時代に絵描きになりたかったのですが、叔父が絵描きだった母親に反対され、工学であると同時にアートの要素もある建築科に入りました。
 海外はどこに行きたかったのですか?
 高校時代に海外旅行を夢見てたくさん旅行記を読みました。インドに興味があり西洋を通過してから行こうと思っていました。1年休職し横浜から船でナホトカ、シベリア→北欧→ドイツ→パリ。でもパリは目的地ではなかったのです。
 パリではどんな建築事務所で働きましたか?
 早稲田の吉阪隆正教授の深い影響を受け、パリにいられたのも彼のおかげだったと思います。いろいろな人の紹介で短期間のアルバイトをしました。アルミ材の先駆者で建築を工業化したジャン・プルーヴェは、アベ・ピエール神父の依頼で建てた「よりよき日々の家」で有名ですが、1971年ポンピドゥ・センターの建設コンペで選ばれたピアノ&ロジャース建築事務所に彼の紹介で入り、1974〜77 年まで同センターの設計に携わりました。当時はシラク内閣の社会政策により経済的解雇なら最初の1年間は給与の110%まで給付され、建築業も一つのプロジェクトが完成すると同種の失業手当が受けられたので、自分の好きなことをして過ごせました。
 仕事の他にどんなことに興味がありました?
 学生時代からフリージャズが好きで、現代音楽のミュージシャン、ジョン・ケージや小杉武久、スティーブ・レイシーらとも親交をもて、70年代末から自分でパフォーマンスもしました。
 ご自分の会社は何年に設立されましたか?
 1982年に長男が生まれたときに友人と会社を設立し、現在のAtelier KABA社は1992年の設立です。建築の他に公園や庭園、家具まで様々な分野に携り、環境やエコロジー全般にわたっての入念な設計を心がけています。
 これからまだしたいことは?
後世代の人々のために、病がかなり進行しているこの地球を、少しでもいい環境にするような仕事を若い人と共同でできたらいいと思っています。


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