マダム・キミのシルバーラウンジ:Y子さん

Y子さんは名古屋に生まれ、現在68歳。彼女の祖母は20世紀始め16歳の時、船でハワイとアメリカ本土に行き、カリフォルニアで邦人男性と結婚したが4年後に離婚して帰国したという。父親は町工場を経営。Y子さんは名古屋の大学の仏文科を出て、72年ミュンヘン五輪では通訳。77年シュトゥットガルト、ミュンヘンに滞在後パリに着き、アリアンスで仏会話を学ぶ。

パリを定住地として選んだ理由は?

ドイツよりもフランスの方が料理が美味しいからです。76年、パリの大手ホテルのレセプショニストになりました。当時、多くのカンボジア難民がフランスに「ボートピープル」として到着していたのですが、その受け入れのボランティアだったフランス人男性と知り合い、結婚しました。彼は軍機部品製造技師。私たちは日本に行き2児をもうけました。

日本語の分らない主人は、習慣の違いもあり、つらかったと思います。パリに戻ってからは子どもにとって大変でした。彼らは日本で覚えた赤ちゃん言葉を使っていましたし…幼稚園の保母さんに、母親としてフランス語で話すようにと言われました。今息子たちは、日本人でもフランス人でもない国際人だと言っています。

80年代にオペラ街にオヴニーが配付してあったのが救いでした。アノンスを見ては就職先を見つけていました。大手ホテルや日本レストラン、日系電子部品会社でも働きました。夫とは80年代半ばに離婚。彼は60歳前に病死しました。

日本の家族との関係は続いていますか?

日本から見るとパリの生活はよほど優雅に思えるのでしょうか。親戚だけでなく友人までが、私たちの家を、気がねせずに泊まれる便利な宿として代わる代わる訪れました。子供はまだ手がかかるけれど、主人は病気がち、私は毎日働き…といった時期はしんどかったです。でも私はどこまでも楽天的で、夫と結婚する時も、日本から義兄がパリに来ていたので、これはちょうどいい、というふうにまるで竜巻に巻かれるように結ばれました。何となく自分の意志よりも、宿命的な時間の流れに任せた感じです。
今は5人の孫の世話で忙しくしています。長くもあり、短かくもあったパリの生活を続けられるのは、家族の樹が育ち続けているからでしょう。


 

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