マダム・キミのシルバーラウンジ:3月1日号

 ホシさんは福島県に生まれ、兄に次ぐ7人の姉妹の一人。行きたかった美大をけって美容師の道を選ぶ。警視庁勤務の男性と見合いし3人子供を持ったが30 代で離婚し夫に親権を譲る。

美容師としての道はどこで始まりましたか?
東京のデパートの美容室でスタイリストとして始め、ロンドンのヴィダル・サスーン・アカデミーで3年学び、パリで2年勤めました。NYに行ったのは1981年。最初は地下にあったさびれた美容室で働きました。それからバブル時代へとNYの日本人社会は黄金時代を迎えます。最高潮の時期には、NYに4店舗開きました。

90年代にパリに進出されましたね。
私の夢はロンドン、NY、パリ、ベルリン、京都へと伸びていきました。ベルリン店は15年前に出し、息子が担当してくれています。私に事業欲があったとは思いませんが、店が軌道にのると、新しい土地に進出したくなるのは自然だと思います。息子に言わせれば、何歳まで働くつもり?と不思議がりますが、言ってみれば職人と同じだと思います。手と足と思考が健全なかぎり、働きたいというのは、他にすることがないというわけではなく、働くことがイコール生きることになってしまったのだと思います。

4都市を自分の街として手なずけてしまった女性事業家としてのご感想は?
美容室の経営・宣伝はアートと切り離せません。父は口ぐせのようにビジネスで広告費を削ってはだめだと言っていました。自分のフォードT型車にマンガ家に絵を描いてもらい宣伝カーとして運転していました。私の目のつけどころはそこから来ているのだと思います。父からビジネスのノウハウを学びました。
外国でビジネスを切り開く難しさは、政府が相手だということです。正直言って大変でした。でもやりがいもあります。その国その国の特性を素肌で感じることができます。美容によって外国の街を自分の街にしたとき、実に「やった」の一言です。4都市の特徴といえば、NYは人種のルツボなので気楽な雰囲気、パリジャンはちょっと気取り屋ですがそれがいいのです。ベルリンには東西のシコリが残っているようです。京都人はすべて一級品を希求する市民ですね。

 


 

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