メトロ10号線のポルト・ドートゥイユ駅すぐ西に「Auteuil Brasserie」という大きなイタリア料理店がある。この建物は、プチット・サンチュールのオートゥイユ・ブローニュ駅の駅舎を改装したもの。ここを起点に時計回りで、今も残っている15の駅舎 (右ページ地図の)と、線路跡を訪ねてパリを一周してみた。
● 16区・17区
15区からセーヌを渡ってすぐのところにあった線路は、1966年にエグゼルマン大通りの建設で消えてしまった。1854年開業のオートゥイユ・ブローニュ駅は、1985年までサン・ラザール駅との間を結んでいたオートゥイユ線の起点でもあった。
この駅の裏手から隣のパッシー・ラ・ミュエット駅との間、1.2kmの線路跡が「サンティエ・ナチュール」という自然観察路になっている。深い掘割の底のレールが取り払われた小径は、潅木や茂みに覆われて山奥の谷のよう。湿気が多いため、無数の植物と昆虫や鳥が生息している。
マルモッタン美術館に近いパッシー・ラ・ミュエット駅(1854年)も、今は「La Gare」というレストランに使われている。
アヴニュー・アンリ・マルタン駅から北の4駅は、RER・C線の駅として現役。C線部分は、ほとんど地下を走っています。このアヴニュー・アンリ・マルタン駅は1878年のパリ万国博のときに造られた。今は駅舎の大部分をカフェが占めていて、駅出入口が窮屈そう。ちなみにここのコーヒーは、5ユーロでした。
パリ=ドーフィーヌ大学の前にあるアヴニュー・デュ・ボワ・ド・ブローニュ駅(現・アヴニュー・フォッシュ駅)は、1854年開業。1900年のパリ万国博のときに改修を施されている。 17区、巨大なパレ・デ・コングレの建物を背にしたヌイイ・ポルト・マイヨー駅 (現ポルト・マイヨー駅)、次のクールセル・ルヴァロワ駅(現ペレール・ルヴァロワ駅)も1854年に開業で、1900年の万国博を機に建て直された。
再開発で風景が一変したクリシー・バティニョール地区の西北端がポルト・ド・クリシー。ここから西に進むと、再び掘割の下のプチット・サンチュールの線路が見えてきます。(18・19区へ)