リヨン駅と“アル・シャロレ”、
その歴史と再開発計画。
リヨン駅は1846年に最初の駅が造られ、時計塔を持つ現在の駅舎は1900年のパリ万博の時に建てられたもの。駅の南東部の線路沿いには、鉄道の発展とともに、蒸気機関車の整備・修理工場、燃料の石炭庫、機関車や客車の車庫、貨物倉庫など、いくつもの付属建物が建てられてきた。1951年に電気機関車が登場し、60年代初めにはすべての蒸気機関車が消えます。電化に伴う施設の多くは、郊外のヴィルヌーヴ・サンジョルジュ(2月のセーヌとマルヌの増水で洪水にあった町)に移り、残された建物の多くは取り壊されたり、改築されて列車郵便物の仕分け場や、“ミストラル”、“トラン・ブルー”といった豪華急行列車の整備場になっていた。1981年にパリーリヨン間にTGVが開通し、豪華列車は廃止されます。
現在シャロレ通りと線路の間に連なって並んでいる Halles Charolais は、1925年に建てられ、電信・電報のアトリエ、切符の印刷所、そして郵便物の仕分け場と、それらの事務棟だった建物群。
今、グラウンド・コントロールに使われている建物 Halle 2は、郵便物の集荷、仕分けに使われ、1987年からはTGVの郵便専用車 “TGV Postal” が扱う郵便物の仕分け場だった(オヴニーも、地方への輸送はここを経由していました)。しかし TGV Postal は2015年に廃止され、このホールは空家になっていた。
SNCF、パリ市と12区は、これらの建物とそこへ延びていた線路跡の60,000㎡に及ぶ敷地を再開発する、“リヨン駅ードメニル地区計画”を進めている。
住宅600戸(約60%は公営住宅)、公園、オフィスビル、学校と保育園などを造るほか、Halles Charolais のうち、リヨン駅寄りの棟は改装して商業施設や文化施設として再生利用される予定。グラウンド・コントロールは、その工事が始まる2020年春までの2年半の期間の営業が予定されています。
これまでも、オーステルリッツ駅南のパリ・リヴ・ゴーシュ計画を始め、サン・ラザール駅北のバティニョール地区、北駅・東駅北東部のパリ北東地区など、遊休地の有効利用、再開発の名の下で、パリ中から“ムダな”土地が次々と消えてきた。SNCFの土地だけを考えても、もうこんなに広い空間は残っていない。
古い病院や工場跡、そして低層の小さな建物が集まる場所なども、どんどん取り壊されてピカピカのパリに変っている。
都市には“ムダな”空間があったほうが街として魅力があるんだけどなぁ……。