『 グレイス、勇敢な人(仮題) 』
Grace l’intrépide
サカリーヌ・ミエルモン著
Gallimard刊
パリの売春婦。
いつでも身近にいるのに、その生活の実態はあまり知られていない、都市の影のような存在。パリの街を歩けば誰しも一度はすれ違う売春婦たちとは、そういう人々なのかもしれない。売春の「ホットスポット」としてよく知られるのはブローニュの森、ヴァンセンヌの森、バルベス、サン=マルタン門からサン=ドニ通り、ベルヴィルなどの辺りだろう。2016年に採決された売春客を処罰する法により、最近ではネット上に売春の舞台が移行したとも言われるが、路上での交渉も依然として行われているのが現状だ。
ナイジェリアからパリへ。
本の背表紙にある紹介文に書かれた「5年の調査の成果」という文句に興味を持ち、手にとってみた。けれども表紙にはっきりと書かれているように、これは「小説」、つまり虚構の文章である。ただし著者が実際に現地で見たこと、売春婦たちや支援団体の活動家、弁護士などの証言をもとに一つの物語を再構成したもので、従って書かれていることの多くは、実際の出来事と関連していると見ていいのだろう。
この本の主人公である「グレイス」なる女性も、だから存在はしない。彼女は、著者がヴァンセンヌの森で出会った複数のナイジェリア人売春婦たちの証言から作り上げられた架空の人物だ。ただこうして虚構的に作られた彼女は、アフリカから来る無数の女性たちが実際に持つ共通の経験をここで証言しているのである。
彼女はニジェール、リビア、地中海、そしてイタリアを経て、飢えと乾きで死んでゆく人々を横目に見ながらナイジェリアからパリに至る過酷な旅について語る。そして命からがらに到着したこの街で、一回数十ユーロで性的サービスを強いられながら、客からの暴力に脅えながら、またほとんどの稼ぎを搾取されながらの生活について語る。実際、彼女たちのほとんどは自らの意志で売春行為をしていないのだ。長女を金の稼ぎ手としか見ないナイジェリア社会の家族から追いやられ、また「旅費」として法外にふっかけられた借金を返すため、彼女らは売春斡旋業者たちのネットワークから逃れられないのである。国際移住機関(IOM)の調査によると、ナイジェリアからヨーロッパに渡った移民の数は2014年から16年までの間に1,454人から11,009人へと激増し、そのうち80%が売春斡旋者たちの犠牲者と見られている。
売春婦たちの「真実」?
著者はもともとこの分野の専門家ではなく、ある活動家との偶然の出会いからパリの売春の実態に興味を持ち、売春婦たちを支援するボランティア、「マロード」と呼ばれる夜回り活動に参加するようになった。とはいえ、記述という行為は売春婦たちの尊厳にも関わる問題であり、彼女たちについて書こうとするとき、著者が「私に権利があるのか?」と自問するのも当然だろう。そもそも、警戒心のきわめて強い彼女たちの信用を得ることが難しいのだ。
少なくとも、私たちがこの本を読んで売春の「真実」を知ることはないだろう。そして著者自身がそのことをよく知っている。なぜなら彼女は「グレイス」にこう言わせているからだ。「あなたにどうして状況がわかるっていうの?私たち自身が、自分の状況をわかっていないっていうのに?」当事者が言葉を失うということは、悲惨な状況では起こりうることである。あまりに辛い出来事が起きると、ときに人は記憶の奥底にしまい、忘れ去ろうとするからだ。たぶんこれが、著者が「小説」というスタイルを選んだ本当の理由なのではないかと思う。あたかも「真実」は知れないからこそ、読者は、それがどれほど深刻なものかを窺い知ることになるかのように。(須)
[著者]
カリーヌ・ミエルモン
1965年、仏南東部ロマン=シュル=イゼール生まれ。テレビ局に長期勤務、ドキュメンタリー制作などに携わる。前作に愛猫の死を主題にした『L’Année du chat (猫の年)』(スイユ社、2014)がある。