「私は普通の精神しかもっていないから、肉体的な幸福によって自分を支えなければならない」(原二郎訳)とその著書の中で明言しているモンテーニュ。「われわれは年齢が、われわれの手から次々と奪い去る生活の楽しみを、歯と爪でもって食いとめなければならない」と、快楽に執着する自分の姿をさらけだす。
ただ、モンテーニュの快楽には、行き過ぎたところはほとんど見受けられない。食についても、ぜいたくな食材や珍味を血眼になって追い求めるようなところはなく、そのときどきの状況で手に入るものに満足する。また、当代きっての料理人から聞かされる演説や医者からの助言は適当に流し、自分の心と体が喜ぶものを素直に選ぶ。なにかにつけて無理がなく、我慢をしている様子がない。自分にとって心地よいことが、モンテーニュの何よりの基準になっているようだ。
一方で、僧侶や修道士の禁欲は「率直に認めるし、彼らの生き方を立派だと考える」と、自分と異なる生活をしている人たちを責めるようなところはみじんもない。「私は、自分の尺度で他人を判断するという万人に共通の誤りを全然持ち合わせない。私は、他人の中にある自分と違うものを容易に信用する。自分もある一つの生き方にしばられているとは思うけれども、皆のように、それを他人に押しつけることはしない」。
さらにモンテーニュは続ける。「私と異なれば異なるほど、彼らを愛し、尊敬する」と。そうやって人の生き方を認められるのは、自分自身の置かれた環境や自らが選び取った暮らし方に心から満足していたからだろう。宗教戦争に揺れ、ペストに見舞われた激動の16世紀フランスで、大小のピンチにさらされながらも最後まで自分らしく生きることに成功したモンテーニュ。その理由のひとつは、自分にも人にも、いい具合にやさしくすることを知っていたからではないだろうか。(さ)