今回のメイド・イン・フランスは少し毛色の変わった製品で、記念コイン。そのいとことも言える、日々使われるユーロ硬貨のほうは工業製品のように製造されており、摩耗したものは回収されて新たな硬貨が造られる。フランスの硬貨をずっと造ってきたパリ造幣所 「モネ・ド・パリ」はもう通貨は造っておらず、主に金銀製の記念コインや、レジオン・ドヌールなどの勲章・メダル、コイン型アクセサリーをパリ6区で造り続けている。
セーヌ左岸、ドーム屋根のフランス学士院の隣にあるモネ・ド・パリは、18世紀築のネオクラシック様式の堂々たる建物。パリの造幣所の歴史は、パリと地方の計10ヵ所に造幣所を設置した、864年のシャルル2世の勅令にさかのぼる。歴代の王は貨幣統制力を強めるため造幣所を増やし、1691年には27ヵ所を数えた。王管理下の民間経営だったが、フランス革命で国の直轄管理になり、1870年にはパリ、ボルドー、ストラスブールの3ヵ所に限定、1879年にはパリだけになった。当時ポンヌフ橋付近にあった造幣所は老朽化し、ルイ15世が建築家ジャック=ドニ・アントワンヌに命じて6区の現在の地に1771年から4年かけてモネ・ド・パリを建設した。通貨製造がボルドー近くのペサックに移転される1973年まで、ここですべてのフランス硬貨を生産していた。
中庭のアーチをくぐって奥の建物に入ると、彫版師(graveur)のアトリエがある。彫版師が、その年の記念コインのテーマからデッサンを起こして経済財務省で承認されると、粘土で原寸の4倍ほどの原型を作り、それを元に石膏の凹型を作る。細部を手作業で修正したらコンピュータに取り込んで原寸大の鋼鉄製金型を作る。これに貴金属品位証明や彫版師の極小の刻印を付ける。もちろん、今の時代だからデッサンから直に、または粘土原型からコンピュータに取り込んで金型を造るやり方もあるが、パリでは伝統的手法を踏襲している。こうして完成した裏と表の2枚の金型がプレス加工機にセットされて、円形や長方形のコイン・メダルの形になった 「flan」一枚一枚に2回型打ちされる。別の部屋に行くと、ほぼ出来上がった直径11㎜のメダル金型に、顕微鏡を覗きながらカッターナイフでさらに細かな模様を入れている技師がいた。細かい砂やガラス粉をかけてマットなニュアンスを出すなどの加工もするそうだ。
ちなみに、ペサックでは硬貨を1分間に800枚を型打ちでき、外国42ヵ国の通貨含む年間15億枚の硬貨を製造。パリでは年間に金貨12万枚、メダル・勲章23万個などが製造される。
彫版師トップの総彫版師(graveur général)ジョアキム・ジムネーズさんによると、彫版師に大事なのは彫版の技術はもとより、「美術センスや好奇心」だそうだ。今年であればナポレオン没後200年、ラ・フォンテーヌ生誕400年など年間14以上のテーマが与えられるが、そこから歴史的知識や想像力を働かせて図案を考えていく。私たちが毎日手にする硬貨、そしてメダルには文化の蓄積と伝統的な技術が凝縮されているのだとあらためて思った。(し)