5月、反抗文化の種が撒かれた。
68年6月の総選挙で、ドゴール率いる右派が圧勝し、政治的な「5月」は終わったかのように見えたが、この数カ月間で露わになった権威主義への反発、「禁止することを禁止する」といったスローガンで叫ばれた自由への渇望は、ますます根強くなった。そして、こんな若者たちの心情を表現するアートが町にあふれた。
ゴダールは、何人かの映画作家と「ジガ・ヴェルトフ」というグループを作り、集団的な映画作りを模索する。彼らの 『プラウダ(真実)』、『東風』を観るために、ユルム通りにもあったシネマテークに若者たちが押しかける。
カフェのジュークボックスからは、ジョルジュ・ムスタキの『僕の自由』、『異国の人』が流れ、69年にはBYGという独立レーベルが日の目を見、ドン・チェリーやアーチー・シェップをパリで録音してリリースし、こうしたミュージシャンの無料コンサートが美術館や映画館で行われる。
さらに、米国で盛んになってきたカウンター・カルチャーが、ウッドストックなども含めて大西洋を渡ってきて、フリーセックス、自然のなかで生きるヒッピーコミュニティー、フェミニズム、大麻や幻覚剤による意識の変革などへの関心が高まっていく。
70年の秋、こうした動きを反映する週刊誌が創刊された。「charlie hebdo シャルリー・エブド」だ。カヴァナ編集長などの風刺の、とげがキラリと光る名文、デルフェイユ・ド・トンの、つい見に行きたくなるアート評、ライゼールの、普通のフランス人のあたり前の毎日を、少し悪趣味に描いた爆笑コミックスなど、紙面の隅々まで元気なエネルギーに満ち満ちていた。このシャルリーは82年に終刊した。92年にフィリップ・ヴァルが再発行したシャルリーは、全く別物です。(真)