68年5月と、(その後)を率いたリーダーたち。
5月革命3人衆。
●ダニエル・コーン=ベンディット(1945-)
フランス生まれのドイツ人。思春期をドイツで過ごした後、ナンテール校で社会学を学ぶ。「3月22日運動」の牽引者で、5月革命の学生リーダーとして有名に。
5月21日、フランクフルト滞在中、仏内相から国外退去を命じられた。28日に隠れてパリに戻ってきたが、4日後にフランスを離れた。ドイツに戻り、緑の党に加入。ドイツ緑の党、その後フランスのヨーロッパ・エコロジーから出馬し、EU議員を2014年まで20年続けた。2017年の大統領選挙の際はマクロンを支持。
●アラン・ジェスマル(1939-)
5月革命当時、高等教育職員組合(SNE-Sup)事務局長。5月6日、教員の側から学生たちを支持することを決めた。3人の共著『La Révolte Etudiante(学生革命)』(1968)の中で、SNE Supが運動に参加したのは「学科相互のヒエラルキーの形成、ナポレオン帝政いらい受け継いできた学部の構造などが、発展過程にある国に全く適合しなくなっていた」からと語っている。86年社会党に加入し、社会党内閣の教育省官房に入るなどした。
●ジャック・ソヴァジョ(1943-2017)
当時、フランス学生連盟の副会長。「学生全体を立ち上がらせたのは、ナンテールの学部封鎖ではなく、その翌日、闘争を拡大するために我々が集会を開いていた時の、ソルボンヌへの警察の介入である」(同著)。5月革命の後は、ナントの美術学校教授、その後レンヌの美術学校教授となる。
女たちの5月革命。
●アントワネット・フーク(1936-2014)
精神分析家。1968-70年にできた 「女性解放運動MLF」の活動家。5月13日にソルボンヌで、フェミニストの小説家モニク・ウィッティグらと「文化活動革命委員会」を作り、路上芝居などを通して革命意識を高めようとしたが、限界を感じた。
「5月革命は思考を解放する出来事だったが、運営するのも敷石を投げるのも男で、女は会合で発言しない。この革命でも女はしょせん「第二の性」。性革命は男のもの、女は解放されたと信じて妊娠するのがオチ。堕胎は難しいから苦しむ。ソルボンヌの時からモニクも私も、5月革命から解放されて、女の運動を作る必要を感じた」と回想している(『Génération MLF』)。
フークは5月革命を、父に逆らう息子にたとえている。10月にはマルグリット・デュラスが提供したアパートで、女同士で体のことや処女性について話し合う会を持った。様々な方向性を持つ人たちが集まったMLFは70年代に幅広く活動した。
フランスでは1974年には避妊薬が国民保険によってカバーされ、未成年でも避妊のための保護者の承諾が不要に。また人工妊娠中絶を合法とするヴェイユ法が可決され、翌年施行された。5月革命がなかったら状況は違っていただろう。(羽)