《インタビュー》
アジアに惹かれたサンローランに惹かれた。
イヴ・サンローラン美術館
コレクション責任者
オレリー・サミュエルさん
颯爽とした、知的なエレガンス。イヴ・サンローラン美術館のコレクション責任者、オレリー・サミュエルさんの言葉からは、サンローランのエスプリが軽快に放たれる。15年間ギメ美術館で学芸員を務めた、アジア文化と文化遺産管理の専門家である。その豊富な知識と情熱、展覧会のキュレーターとしての才能を買われて、このポストに抜擢された。
美術史、とりわけ装飾美術とインド美術を専攻したサミュエルさん。まずギメ美術館の日本部門で働くことになり、漆など日本美術に魅了された。つづいて、小さい頃から関心があったテキスタイル部門に移り、筒描(つつがき)や歌舞伎・能衣装の企画展を手がける。2012年、ベルジェ=サンローラン財団の歌舞伎衣装展(松竹コレクション)の企画を委託されたのが、ピエール・ベルジェとの出会い。5年後彼女は、大好評を博した着物展(松坂屋コレクション)をギメ美術館で催し、着物にインスピレーションを受けたサンローランの服も展示した。2002年に引退し、2008年に世を去ったサンローランは1964年以降、プロトタイプ、小物、スケッチや制作メモなど、コレクションと創作過程のすべてを保存してきた。半世紀にわたり伴侶・出資者としてサンローランを支えたベルジェはその想いを受け継ぎ、常設コレクションを備えるフランス初のモード美術館をつくった。
「テキスタイルやモードはたわいない二流の芸術と思われてきたのが、今やっと変わりつつあります。私にとっては、いずれも奥が深い芸術。衣服やその着方から、他の文化について多くを学べます」と語るサミュエルさん。インド服の鮮やかな染色や、中国・日本の陶器など、子ども時代からアジアの物に心を惹かれた。「理由は説明できないが、ロシア系の先祖の一部がモンゴル民族だったからかも」と笑う。 アジアでは伝統的に、織物や茶碗など生活工芸も芸術と見なされるが、「日常の芸術」はヨーロッパでは理解されにくい。サミュエルさんは、日常の中でオブジェと一体感を得られ、自然現象に細やかに呼応するアジア文化の感受性に惹かれる。サンローランに興味をもったのも、彼がアジアに強い関心を抱いていたからだという。
昨年10月3日に開館したサンローラン美術館が催す初めての企画展、「サンローランが夢見たアジア」では、インド・中国・日本の衣装に着想を得たコレクションと、インスピレーションの源である芸術品(工芸品、装飾品、浮世絵など)を同時に展示する。他文化について、数多くの書籍をとおして豊富で繊細な知識があったサンローランは、蒐集した美術品に囲まれて暮らし、想像を膨らませてコレクションを創作した。「そのインスピレーションの源は何なのか、美術史の視点から具体的に見せて、彼の創作が単なる異国趣味を超えた芸術作品であることを示したいのです」とサミュエルさん。
たとえば、スキャンダルを醸した香水「オピウム」の誕生エピソードは興味深い。容器のデザインが印籠(「日本的すぎる」と高田賢三さんが断った曰くつき)に決まると、制作チームは実物を研究するためにギメ美術館に赴いた。赤い漆の色を出すためには、ベルジェがもっていた中国製の家具を切り取って吟味した。ショーケースには日本の型紙を使った笹の葉のモチーフ…「オピウム」は日中両文化の混合から創出されたのである。「サンローランのアジアとは、彼の想像世界から生まれた独自のアジアなのです」。