Matisse. Cahier d’art ー Le tournant des années 1930
大晦日に生まれたアンリ・マティス(1869-1954)は、1930年、60歳だった。生まれた年と同じ干支に戻るので、日本では還暦を「第二の人生の始まり」として祝う。マティスは還暦という概念を知らなかったと思うが、結果的に60代が画家としての転換期となった。
20歳で絵を描き始めた遅咲きの人で、画家になるために人一倍努力した。30代後半に前衛画家として認められ、ニューヨークで展覧会をするなど国際的な名声も高まったが、そうした栄光とは裏腹に行き詰まりを感じ、59歳の頃、油彩が描けなくなるというスランプに陥った。
そんな時にマティスを押し上げたのが、1926年に発刊した前衛美術誌「カイエ・ダール」だった。マティスのアーティストとしての挙動を追って、創作活動の「今」を伝えたので、1920年代にパリ美術界の主流から外れていったマティスに再び注目が集まるようになった。
オランジュリー美術館の本展は、カイエ・ダールに掲載された記事をもとに、1930年代にマティスがどう新地平を開いていったかを見せている。
1930年9月、米国・フィラデルフィア近郊のバーンズ財団から壁画の注文が来た。これを受けて描いた「ダンス」は、マティスの傑作の一つだ。自分で色をつけた紙を切り抜いて原案を作るという手法を初めて使った。晩年、リューマチで絵筆が持てなくなったとき、マティスは色鮮やかな切り絵の世界を展開した。その原点が「ダンス」の切り絵だった。
ロシアの富豪のために1909年に描いた油彩「ダンス」(エルミタージュ美術館所蔵)では、女性たちが手を繋いで輪になって踊っていたが、バーンズ財団の「ダンス」のダンサーは戦っているようでもあり、コンテンポラリーダンスを思わせる躍動感がある。
マティスは1930年、米国、ゴーギャンゆかりの太平洋の島、カリブ海の島を半年かけて旅した。この充電期間を経て、作風が変わった。20年代は、アラビア風の衣装を身に着けた女性が装飾的な室内にいる作品を描いていたが、30年代には、そうしたオリエンタリズムが消えた。そして、描き方がラディカルになった。
カイエ・ダールは、マティスが一つの作品を何度も修正し、絵がどんどん変わっていく経過を写真に撮ったものを掲載した。「横たわる大きなヌード(薔薇色のヌード)」の場合、最初は普通のヌードなのだが、腕を太くしたり、頭の向きや大きさを変えたりと、形がどんどん変わっていき、最後は、画面からはみ出るほど大きな体に小さな頭がちょこんと乗った奇妙なヌードになった。最終版だけ見ると「この絵はなんだ」と途方に暮れるが、最初から経過を追って見ていくと、マティスが途中で捨てていったもの、新たに加えたものと最終版までの筋道がわかるのである。
1930年代は、ロシア人のリディア・デレクトルスカヤが、アシスタント兼モデルとしてマティスを支え始めた時でもある。40歳下のこの女性との出会いがマティスの作品に新たな風を送り込んだことは確かだ。会場では「青い服の女性とミモザ」など、リディアをモデルにした作品が多く見られる。
カイエ・ダールはピカソとマティスをライバルと捉えていた。それで、マティス展なのに、ピカソも10点ほど出ている。彫刻やデッサンを比べて見ると、ボリュームの扱い方や線の描き方に、二人の意外な接点が見えてくる。(羽)
5月29日まで
Musée de l’Orangerie
Adresse : Jardin des Tuileries 内 (セーヌ川寄り) Place de la Concorde , 75001 Paris , FranceTEL : 01 44 50 43 00 (予約可能)
アクセス : Concorde
URL : https://www.musee-orangerie.fr
火休、9h - 18h。 本展の会期中のみ、金曜日-21h。12.50€。予約をおすすめ。billeterie.musee-orangerie.fr