雨が止み、パリ市庁舎前の広場には人が大勢集まってきた。マクロン大統領が2期目に選出され、ちょうど1年になる晩。時計の針が20時をさすと、カンカンカン…と誰かが鍋を叩き始め、高校生から高齢者まで数百人が続いた。
鍋のフタ2枚をシンバルのように叩く人、スプーン、水筒、空きカンで作った”楽器”を叩く人。料理器具の他にもホイッスル、ブブゼラ、音が出るなら何でもあり、といったところだ。ブーイング、「マクロン、デミッション!(マクロン辞任)」の声、歌…。
年金改革法案に対するる抗議は1月に始まったが、同法公布後はこの「鍋のコンサートcasserolade」が主流となり、各地で連日鍋叩きが行われ、大統領、大臣らは訪問の先々で”鍋の楽隊”に迎えられている。3ヵ月間にわたり、ストやデモを続ける粘り強さには感心していたが、法の公布後も「この改革は社会的に不公正」と、平和裡に、ユーモアをもって訴え続けるのにはさらに驚いた。
1830年七月革命でブルボン王朝が倒され、ルイ・フィリップ王政になった後、共和派は鍋を叩いて不満を表明したとラジオで聞いた。政府は年金改革騒動は早く終わりにしたいところだろうが、鍋のコンサートはまだ続きそうだ。(六)
年金改革法公布、その後。
鍋のコンサートが始まったのは、マクロン大統領が4月17日にテレビ演説を行った日だった。
その3日前、憲法評議会が年金改革法案の主要条項を合憲とした後(下の記事に詳細)、労組代表はマクロン大統領に「すぐに公布しないよう」求めたにもかかわらず、大統領は発表の数時間後に同法を発布した。1月から国民が10回以上デモを行い最大時は350万人もが参加してきたが、それも全く考慮されなかった。
17日、人々は、今さら大統領の演説など聞くものかと全国の役場前に集まり、演説開始と同時に鍋を叩いたのだ。その数は全国で370ヵ所。政権はすばやい公布で年金改革論争と混乱に終止符を打とうと思ったのかもしれないが、抗議運動は静まるどころか、再燃した。
大統領はテレビ演説のなかで、7月14日までの期間を「鎮静のための100日間」とし、労働、司法、医療分野などにおいて対話を進め、新たな諸政策を打ち出すとした。そして国民との〈対話〉のため翌日からフランス各地へ赴いたが、どこでも鍋のコンサートに迎えられ、エロー県では空港、学校などを訪問中に電気を切られた。大統領は「鍋で国を前進させることはできない」と皮肉り、県は「音を出す道具」所持を禁止し、所持者は町の中心に行けないようにした。
労組は、大統領の 「鎮静の100日間」は、労働者にとっては「怒りの100日間」であり、すでにオルセー美術館内やラ・デファンス新凱旋門で行ってきた抗議アクションに加えカンヌ映画祭、アヴィニョン演劇祭、テニス全仏オープンなど世界のメディアが集まるイベントでも続けるとした。
国民議会議員たちも行動に出た。5月3日には、憲法評議会が、左派が提出した2件目の国民投票(RIP)案に関して判断を下すが、国民議会では中道派Liotグループ20人が、年金改革新法を撤廃する法案を4月20日に提出した。 定年64歳に関する条項(第7条)の廃止と、年金制度存続のための財源確保についての会議を開く、という2条からなる法案で、6月8日に審議される予定だ。
年金改革法は公布はされたが、路上では一般市民が、国民議会では議員らが闘いを続けていくことになった。シラク政権では、一度公布された初雇用契約(CPE)を創設する法が、若者が中心となって抗議を続けた末に撤回されたことがある。今回も撤回の可能性もなくはないのだ。
大統領2期目から丸一年の世論調査では、47%の国民が大統領に「非常に不満」。「満足」は26%。「黄色いベスト運動」時の2018年11月(25%)、12月(23%)に次ぐ支持率の低さとなった。
「年金の闘い」の勝敗はいかに。歴史的な市民運動の行方を見守りたい。(美)
憲法評議会の合憲性審査
憲法評議会は4月14日、強行採択で3月16日に成立した年金改革法案の主要事項を合憲とした。同評議会への訴えは、ボルヌ首相、国民議会の左派連合(Nupes)、極右の国民連合(RN)、上院の左派議員(社会党、環境保護派、共産党)が提出。首相の訴えは法案の合憲性のお墨付きをとるための形式的なものだが、NupesやRNの訴えは、政府が年金改革を、通常の法案でなく社会保障修正予算法案として提出し、憲法第47-1条を適用して国会審議を50日以内に制限したのは法案審議プロセスの乱用にあたるという内容で、法案成立の無効性を主張するものだった。
修正予算法案は本来、予算法案成立後に緊急の必要に応じて修正するものだが、政府は今回、強行採択(憲法第49-3条による)が予算法案以外では同一会期に1度しか使えないことと、審議短縮のために予算法案として提出。国民議会では一度も採決されず、上院でも法案一括採決の規定を利用するなど、通常の法案審議の流れとはかけ離れたものだった。この点から国会審議の原則が尊重されなかったとして法案全体が違憲となる可能性を挙げる憲法学者の意見も一部あり、左派や労組はこの可能性に期待を抱いていた。
ところが、評議会は同法案の国会審議が通常の方法で行われなかったことを認めつつも、審議方法自体は違憲ではないとしてこの訴えを退けた。またシニア雇用促進のための「シニア指標」(シニア雇用状況の公表の義務化)、シニア向け無期雇用契約など本来は予算法に含まれるべきでない6項目については違憲とした。
憲法評議会は同日、定年を62歳以下にすることへの賛否を問う、左派議員による「共同発議国民投票(RIP)」申請を却下。申請が提出された3月20日当時はまだ法律が施行されておらず、定年は62歳だったため国民投票にかける意味がないというのが理由だ。左派は13日に定年62歳以下に加え、資産への税収入を年金の財源に充てることについてのRIP申請を新たに提出。これについては5月3日に評定が下る。
抗議する若者たち。年金と、エコロジーの垣根がなくなった。
今まで、世間の親たちは「子どもが大人になる頃は、世の中は自分の時代よりも良くなっているだろう」と希望を持った。今、子どもを持つ親たちは気候変動、戦争、さまざまな社会問題に、未来は大変だろうと案じるようになった。若い人たちは環境破壊という負の遺産を受け取り、地球の環境破壊が進む不安(eco-anxiété)、そのために子どもを産みたくない「No kids志向」の若者の話なども耳にするようになった。
そんな危うい将来の社会で改革により今より2年間長く働く?…何のために?…64歳で退職することは、今より2年間多く働き、その分多く「生産する」こと。でも私たちはもう十分生産し資源を使い、温室効果ガスを排出してきた。
今や経済成長より質素を実践すべき時では?たくさん生産し、消費する…を続けていたら地球はもたない。年金受給までに何十年もある高校生、大学生が抗議を続ける理由のひとつは、この改革が反エコロジー的だからだ。従来の年金システムに人々が不安を抱くと、民間の年金保険をかける人が増える。しかし多くの保険会社が化石燃料産業のプロジェクトに投資しているため、環境破壊を担うことになる、という視点もある。
また、マクロン大統領は学生にとって重要な住宅手当(APL)を削ったり、(つい2ヵ月前も)全ての学生が1€で学食の食事を利用できるようにする法案も与党に却下された。15〜24歳は就労人口の中でも失業率が17%と最高で、コロナ時に始まった食料支給にはまだ若者が長蛇の列を作っているのだが…。
高校生も大奮闘!
ボルヌ首相が年金改革の骨子を発表したのは1月10日。La voix lycéenne、Fidl、L’Alternative などの学生組合は早々に 「19日は学校を封鎖して抗議しよう」と呼びかけた。
呼びかけのビデオでは「現政府は10年先まで経済的な改革は計画するが、エコロジーに関しては無策。私たちに必要なのはエコロジー対策であり、人々が結束できる政策。高齢者や貧しい人々のことも考えないといけない。貧困層の男性29%が64歳まで生きられないのです」と現実を見据えたメッセージを発した。
市庁舎前の鍋のコンサートにはNPA(反資本主義新党)系の高校生もいた。「政府の高校改革にも反対、この年金改革にも反対。マクロン政権自体に反感があります。…鍋叩きの後はリヨン駅へ行くよ。ンディヤエ教育相が地方から電車でパリに帰ってくるから鍋たたきで迎えるんだ!一緒に来てもいいけど気をつけて。警察は優しくないからね」。
たしかに、警察の行き過ぎは大きな問題となっている。高校の占拠や封鎖をすると校長が警察に通報し、警察が来ると衝突が起こったり、48時間ほど拘束されるなどのケースがある。面会できるのは弁護士のみなので、ボランティアの弁護士グループ(黄色いベスト運動の際に立ち上げられた)が警察署に子どもを迎えに行ったりすることも珍しくないという。また、子どもたちが安全に抗議運動ができるよう、親たちが見守ることもあるそうだ。
Techno-gréviste マティルド・カイヤールさん
テクノのリズムにのってスローガンがトラックのスピーカーから響くと、大勢の若者がそれに合わせて叫び、飛び跳ね、踊りながら大通りを前進する。その先頭で踊るダンサーのひとりがマティルド・カイヤールさん(25歳)。エネルギッシュでシャープな踊りと甘いベビーフェイス、一連のデモで「テクノ・グレヴィスト(テクノで踊るスト実施者)」と呼ばれ、一躍人気者に。
気候・社会公正のための市民団体 「アルテルナティバ」の活動家で、NUPESのアルマ・デュフール国民議会議員のアシスタント。「憲法評議会がどう言うと、人々の怒りはおさまらない。抗議も終わらない。今回の運動には創造性と力がある。”鍋のコンサート”のように、この改革が公正でないと勇気ある人々が言い続けるでしょう。ダンスは政治に関心がない人も取り込んでしまう。昔から工場占拠の際などには工場内でアコーデオンを弾いて踊るなど、歌とダンスは抵抗運動に使われてきた。みんなで歌ったり踊ったりすることによって、抗議を続けるための力と希望も生まれる」のだそうだ。