12月4日の国民議会でバルニエ内閣不信任案が可決され、バルニエ首相が(74)が辞任。マクロン大統領は13日、フランソワ・バイルー氏(73歳 中道 MoDem 民主運動党)を任命した。前バルニエ首相の任期は3ヵ月8日間という第五共和制で最も短いものとなった。
MoDem党の創設者で現在もその党首を務めるバイルー氏は、フランス南西部、スペインとの国境に近いピレネー=アトランティック県出身。学生時代は文学を修め教員となるが、農業を営んでいた父親が事故で亡くなると、教員の勤務のかたわら家を手伝ったという。
1982年の県会議員、86年の国民議会議員当選から政界入り。1993-97年は右派バラデュール内閣で教育相、その後欧州議会議員などを経て、2002、2007、2012年と3回大統領選に立候補した。2017年は自らの出馬を断念してエマニュエル・マクロンの応援にまわるなど、マクロン大統領の初期からの有力な支持者として知られる。マクロン政権が誕生するとフィリップ内閣で法務大臣に就任するも、欧州議会の議員秘書架空雇用疑惑のため2ヵ月で辞任。これに関しては23年、第一審で無罪とされたが、その判決に検察局が控訴したため、今年第二審が行われる可能性があり、そうなれば現役の首相が法廷で裁かれる初めての例となる。
2022年にマクロン大統領が再選されてから4人目の首相となったバイルー氏だが、いつまでもつのだろうか。バルニエ内閣総辞職が決まり、フランスがまたもや内閣不在の事態となった時、マクロン大統領は不信任案に投票した議員たちを「無責任」だと非難した。が、これは、今の政情不安定の種を撒いたのが本人だったのをまったく棚に上げての発言だ。2024年6月の欧州議会選挙で極右が躍進し、自ら率いる与党が敗北したことを受け、マクロン大統領は国民議会の解散と、その1ヵ月後に総選挙を行うことを電撃発表。ところが、その総選挙で、与党はまたもや多数の議席を失った。そして、ほとんどの世論調査の裏をかいて左派連合がトップに躍り出た。通常ならその最大勢力から首相が任命されるはずなのだが、マクロン大統領はその結果と、左派連合が推す首相候補を無視しつづけた。華やかなパリ五輪の夏を首相不在でやりすごし、2ヵ月後にようやく指名したのが、総選挙後の国民議会でわずか47議席と少数派のバルニエ氏だったのだ。
欧州議会選挙、国民議会選挙の結果は、7年間続いたマクロン大統領の政策に対する国民の「ノン」の声だったが、バルニエ内閣が挫折した後、またマクロン政治を中心から支えてきたバイルーの人選は不適切という声が多く、左派からはすでに不信任案の声もあがっている。全議席577の国民議会においてMoDem党は36議席にすぎず、マクロン率いるEnsemble pour la République党(93議席)とHorizons党(34議席)と中道連合を構成しているが、左右陣営からどれだけ支援を得られるかは不明だ。(六)