ドミニク・パルメさん
作家、三島由紀夫の壮絶な切腹自殺から、来年は半世紀を数える。死後50周年に先立ち、初期の傑作小説『仮面の告白』(1949年)の新仏語訳が、ガリマール社から出版された。当時24歳だった早熟な三島の作家としての地位を確立し、自叙伝的要素が濃いこの作品は、フランスでは1972年に英訳からの訳が出て広く読まれた。
今年、優れた新訳を上梓したのは、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』、宇野千代や中村真一郎の小説、大岡信や谷川俊太郎の詩などの翻訳で高い評価を受けるドミニク・パルメさんだ。
「国粋主義者のイメージが強く、三島は自分と全く接点がない作家だとずっと思っていました。日本語を学び始めた大学2年の時に自決事件が起きてショックを受け、1973年に初めて日本に留学した際、右翼の三島追悼デモを見て嫌悪感を覚えた」とパルメさん。三島文学に着目したのは、1991年に『音楽』のレポートをガリマール社から頼まれたのがきっかけだった。「イメージに反して彼がアイロニーの作家だとわかり、精神分析のテーマが大衆・推理小説風に描かれているのも面白いと思いました」。
数年後に『音楽』、続いて川端・三島の往復書簡を訳して、ますます興味を惹かれる。『仮面の告白』の仏訳と原書双方を読んだとき、「これこそ自分が訳すべき作品、翻訳家人生最大の出会い」だと確信したという。削除・追加された部分や誤りがある英訳からの仏訳には、作家の文体とエスプリ、つまり三島の「声」が聞こえないと感じた。その声をフランス語で「歌わせたい」とパルメさんは願い、第1章を訳した。しかし、2003年にガリマールに新訳を提案した後、諸々の不明な事情により、出版が決まるまでなんと13年も待たされた。その間、三島の作品では 『ラディゲの死』など短編二点を訳し、ラディゲやコクトー、スタンダールなど、彼がフランス文学から受けた深い影響に注目する。『仮面の告白』は、プルーストの 『失われた時を求めて』の有名な冒頭の句と同じ「永いあいだ」から始まる。
分析力に優れ、理詰めの構成家だった三島は他の日本の作家と異なり、「文章の構造がフランス語に近く、曖昧な語彙を使わないので、仏訳の方が読みやすいかも」とパルメさんは言う。日米開戦直前に16歳で処女作を発表し、20歳で敗戦に遭遇した三島が、一つの自己清算として挑戦した『仮面の告白』には既に、彼のその後の人生と文学が包括されている。「私小説」のリアリズムに対抗した見事な技巧、ナルシシズムや性的葛藤の過度の露出の陰には、深い苦悩が隠されているとパルメさんは指摘する。「彼の明敏さに加え、苦悩を見せまいとする自制に心を打たれます。同性愛や性的不能のテーマを超えて、三島には文学・創作における不能・不毛への恐怖があったように感じるのです」。
死のテーマを頻繁に描いた三島は、『仮面の告白』の起筆と同じ11月25日に45歳で自死した。パルメさんが訳した次の三島作品(来年出版予定)『命売ります』は、その2年前の1968年、『暁の寺』(転生と夢の物語 『豊穣の海』第3巻)を執筆中に「リラックスするため」書いた軽快な大衆小説で、自殺に失敗した男が主人公だ。三島はその年に 「楯の会」の前身を結成し、おそらく自決を企図していた。
「私は無益で精巧な一個の逆説だ」と記した鬼才作家の多彩でアンビバレントな創作世界…日本語の詩情を深く愛する翻訳家によって、固定イメージに閉じ込められていた三島の文学が、優雅なフランス語に再生された。(飛)
■ ドミニク・パルメ Dominique Palmé
パリ在住。ソルボンヌ (パリ第3)大学でフランス文学・比較文学、日本語・日本文学専攻(現INALCO)。1980年代半ばから日本文学(近代・現代)の翻訳を多数手がける。中村真一郎の『夏』(『四季』第2部)で小西国際交流財団日仏翻訳文学賞受賞 (1995年)、FIT-ユネスコ賞受賞 (1996年)。パリ日本文化会館や太陽劇団のために、能・狂言の字幕翻訳も多数手がける。