南太平洋メラネシアに浮かぶ、豊かな自然に恵まれたニューカレドニア(ヌーヴェル・カレドニー、以下NC)。1853年、第二帝政下のフランスに植民地にされ、罪人やパリ・コミューンなどの政治犯の流刑地にも使われた。
第二次大戦後も先住民カナックへの差別と植民地支配の構造はつづき、独立を求めるカナックの運動FLNKSと、支配層の仏系移民とその子孫カルドッシュ間の対立は1984〜88年、内戦状態に至る。憲兵隊特別部隊を出動させた人質事件後の88年6月、ロカール内閣のもとで両者の和平と、独立に向けた制度・経済発展を先住民に10年間保証するマティニヨン合意が成立。98年にジョスパン内閣のもとで、カナックのアイデンティティを認め、複数コミュニティの共存をめざすヌメア協定が調印された。防衛、治安など以外の権限を現地政府に委譲し、カナックの社会制度をとり入れ、20年以内に独立を問う住民投票を行うなど、非植民地化政策が示された内容である。
カナックは1931年のパリ「植民地博覧会」の際、「野蛮人」として見世物にされた。植民地支配下で卑下・蹂躙された3千年来の氏族社会文化とアイデンティティの回復を独立運動は掲げ、カナックが大多数を占める本島の北部とロワイヨテ諸島では、非植民地化政策はある程度進んだ。
しかし、主要産業のニッケル鉱業(GDPの10%)がもたらす富の配分をはじめ、経済的な不平等の是正は全く不十分で、教育や雇用面での先住民差別は根強い。全人口の39%を占めるカナックの失業率は3割近くで、首都ヌメアや近郊の貧困地区に住む若者は困難な状況にある。欧州系住民(人口の27%)やオセアニア・アジア系住民(18%)の多くはヌメアや本島の南西部に住むが、ヌメアの高級住宅街の価格はパリ並みで、都心部での貧富の差も激しい。
11月4日に行われた住民投票は高い投票率(80.6%)で、独立に賛成は43.3%、反対は56.7%だった。カナックが多い地域は賛成が75%以上、欧州系その他が多い地域は反対が73.7%と、社会的・経済的な立場の違いが明確に現れた。
明らかな優勢(7割の得票)を期待した反独立派は、今後2回(2年後、4年後)の住民投票を反古にする目論見だったが、それはヌメア協定に反する。一方、敗れたとはいえ独立派は2014年の選挙(3地方とNC議会)より票を伸ばした。棄権が多いと見られた若い層も動員し、次の住民投票への展望が開けた。今後に向けて、首相は12月に両派代表者を集めた会合を召集する。
人口調査では「混血」が9%、「カレドニア人」と答えた人が7%いる。近年はとりわけ文化面で、先住民と多様な移民の子孫たちが交わるダイナミズムが生まれた。「ヌメア協定が想像した新たな市民権が育ちつつある。特有の共通の前途を築くには、コミュニティ間の交渉を深めることが必要」と文化人類学者のアルバン・ベンサは指摘する。NCの標語は「言葉の地、分かち合いの地」(Terre de parole, terre de partage)である。(飛)