フロベールの作品中、実体験に基づいて書かれている要素が最も多いのが『感情教育』(1869年)だ。先に見たように、この作品の主人公フレデリック同様、作者も人妻への叶わない恋を追いかけ続けた。アルヌー夫人を思慕しながらも、いや、思慕する故なのか、フレデリックはその夫との交際を続ける。アルヌー氏の愛人である娼婦ロザネットと関係を持つようになるも、やはり夫人への思いは消えず、時には「アルヌー氏さえいなければ」と夢想することさえも。
そんなフレデリックの気持ちを知ってか知らずか、夫の方では、どこかからかうように妻のことを話題にしたりして、表面上は余裕を見せ続ける。ある朝などは、徹夜明けで疲れている青年を食事に誘いだした。「元気をつけなくちゃというので、肉を二皿、大えびに、ラム入りのオムレツ、サラダなどを注文し、酒は一八一九年のソテルヌと四二年のロマネにした。なおそのほかに、デセールにシャンパンやリキュールを」。(生島遼一訳)
享楽的であり、どこか倒錯したふたりは、こんな豪勢な朝食を前にして向き合い、一体どんなことを考えていたのだろう。
20世紀最高の作家ともいわれるプルーストは、「特に『ボヴァリー夫人』を含む、フロベールの全作品を『感情教育』と名づけてよい」とした。フロベールにとって、決してかなうことない憧れや夢を追いかける高揚感やそれに伴う絶望感は、その人生においても作品においても一番大事なテーマだったのだと思う。
ものごとをあらゆる角度から観察し、調査し、それをいかに美しく表現するかにこだわったフロベールの『感情教育』は、迷える男女のための教科書にもなりそうだ。(さ)