プルーストにとって、ヴァンドーム広場に今でも存在するオテル・リッツは特別なホテルだった。晩年、防音のためにコルクを張り詰めた部屋にこもって小説の執筆に打ち込んでいた作家だが、そんな中、リッツでの夕食は彼の数少ない外出の機会だったという。その習慣は、体がかなり衰弱している1917年ごろに始まり、その5年後、亡くなる半年前にも、ディアギレフ、ピカソ、ストラヴィンスキー、ジョイスなどとリッツで顔を合わせているという記録が残っている。
自宅に立派な食堂があるにもかかわらず、プルーストはこのホテルに客を招いては、彼らのために料理を選び、給仕には法外ともいえるチップを渡していたという。作家サミュエル・ベケットが『プルースト』で書いているように、プルーストのそんな心配りからは「極端な生まれのよさ、育ちのよさにある、必然的な添えものとして」(大貫三郎訳)私たちの目にうつる。
言語障害や顔面麻痺、さらには薬の大量服用による中毒症状のために外出がままならなくなると、プルーストは運転手のオディロンにリッツへのお使いを頼むようになる。作家が、好物であるフランボワーズやイチゴのアイスクリーム、そしてよく冷えたビールをいつでも味わえるよう、リッツのスタッフは24時間態勢でその希望に対応したという。
ビールといえば、プルーストはその作品中で、ノルマンディの太陽は「海をトパーズのように燃えあがらせ、醗酵させ、ビールのように金色と乳色にし、ミルクのように泡立たせている」(井上究一郎訳)と書いている。リッツから取り寄せるビールは、病床の作家をノルマンディの光と海の思い出に包んでくれる、大事な飲み物だったのだと思う。(さ)