2月18日、ナジュラエ・リメールさん(19)は、酒癖の悪い兄に暴力をふるわれ、ロワレ県モンタルジス市の警察署に助けを求めた。翌日、リメールさんは警察官に付き添われ、パスポートや身の回り品をとりに、兄と一緒に住んでいた自宅に戻る。警察官は正式に兄を訴えるためにはと、シャトー・ルナール町の憲兵隊支部に行くことをすすめる。その憲兵隊支部に出かけたところ、フランスに不法滞在しているという理由で即座に留置され、翌20日、飛行機でモロッコのカサブランカに国外退去された。「被害者として出頭したのに犯罪者になり、15時間後には飛行機に乗せられてしまった」とリメールさん。これでは、不法滞在者だと、身に危険が及んでも簡単には警察署に行けないことになってしまう。リメールさんはカサブランカには身寄りもなく、女性保護団体の世話を受ける。
彼女が国外退去されたということは、たちどころにシャトー・ルナールに広まり、500人の住民が憲兵隊支部前に集まり「Najlae, retour en France, être protégée, être régularisée ナジュラエ、フランスへ帰還。保護され、滞在許可証を」とシュプレヒコール。彼女の姉と、もう一人の兄もこのデモに参加する。多くのマスコミもこの事件を取り上げる。この反響にあわてたモラーノ家族担当相は、25日、サントル・デュ・レピュブリカ紙で「彼女は仕事を持たず研修も受けていない(…)ほとんどの家族がモロッコに住んでいる(…)モロッコにいる方が安全だ」とこの国外退去を正当化する。
実際のリメールさんは、モラーノ家族担当相がこしらえたイメージとはかなりかけ離れているようだ。2005年モロッコ、リメールさんの父親は、彼女の結婚をアレンジする。当時彼女はまだ14歳。それに反対する母親は、フランスに住んでいる彼女の兄の許に送る。その後は職業高校に通いながらさまざまな研修を受ける。「欠席のない熱心な生徒」というのが高校での評判だった。モンタルジス市の図書館でボランティアとしても活躍していた。
2007年4月11日、大統領選挙を前にして「フランスが、ブルカ着用を強制されたり、結婚を強制されたりする不幸な女性の側に立つべきだと願っている。世界の中でこうした殉教を強いられている女性一人一人に、フランスは保護を与える義務があるだけでなく、フランス人になる可能性を与えるべきだ」と高々と宣言したのが、なんとサルコジ現大統領。国際女性デーにあたる3月8日、「女性への暴力に対する闘い」という協会の代表をエリゼ宮に招いたサルコジ大統領は、「リメールさんが望むなら、フランスに受け入れる用意がある」と発言した。
3月9日現在まだモロッコにいるリメールさんは、「とても幸せです。一刻も早くフランスに戻って、友だちと再会したり、勉強を続けたり、以前と同じようにふつうの生活に戻りたい」と語った。(真)