バルザックの小説には食の風景が数多く描かれているが、その中でも『従弟ポンス』には食に関するエピソードが散りばめられ、食いしん坊な読者の想像力を刺激してくれる。主人公のポンスが生きたのは、フランス革命後、宮廷に仕えていた料理人たちが街のレストランで活躍し始めて半世紀ほどたった19世紀半ばで、洗練された料理を味わうことが一種のステイタスとして市民階級に定着しつつあった。
若いころに指揮者として名を馳せたポンスは、ブルジョワ家庭に招かれておいしいものを食べ、すっかり食道楽にはまってしまう。ポンスにとって、食の喜びは性的快楽に匹敵するもの。おいしいものにありつきたいという一心から、プライドをかなぐり捨て、時には友情さえも犠牲にして贅沢な晩餐へと駆けつける。そんなポンスが結婚式に招かれ5時間をかけて堪能したメニューは、以下の通り。「これまで見たこともないような繊細な麺、比類のない魚の揚げ物、ほんもののジュネーヴ・ソースのかかったジュネーヴ産の鱒、それにプラム・プディングのクリームは、このクリームをロンドンで発明した、と言われるかの有名な医者をも驚嘆させる」(柏木隆雄訳)。この時代には、まだ外国からの食材が珍しかったのだろう。この日の食事は「思考を超えた料理」と評されている。
現代では食は一種の「芸術」として認められ、もてはやされているが、バルザックの時代には、このように作家が細かくメニューについて描写することは稀で、多くの文学者は、食べることは芸術どころか、とるに足らないつまらない行為と考えていたという。そんな中、『デュマの大料理辞典』を書いたアレクサンドル・デュマと並んで、バルザックは異色の作家だった。(さ)