昨年12月31日にリスボンをスタートしたダカール・ラリー(以前のパリ-ダカール)だが、1月13日、14日と相次いで、観戦中の12歳と14歳の少年がレース参加の車にはねとばされて死亡。最終日の15日はレースが中止になり、9回目の参加になるリュク・アルファン(40)の初優勝が決まった。アルファンは、昨年4月のチュニジア・ラリーでも、やはり三菱パジェロ・エヴォリューションに乗って初優勝を飾っている。 ダカール・ラリーの汚点は、1978年の第1回以来48人に達する事故による犠牲者数。うち17人が、児童8人をふくむ観客だ。村落近くを時速150km前後で疾走する車に観客が慣れていないことや、安全対策の不備が指摘されている。これだけの犠牲者を出せば、ラリーはふつう禁止されるか、厳しい改善策が迫られるはずだが、ダカール・ラリー主催者側にはその姿勢が見られないようだ。このラリーが開始された当時は、干ばつ続きのアフリカに井戸を作ることが目的と謳われていたが、いつの間にかそれは忘れられ、現在はまったくのスポーツショーになっている。 高名な社会人類学者ルネ・デュモンは「パリ-ダカールは不謹慎だ。パーティー好きの金持ち連中が、自分の家ではなく、貧しい人の家に押しかけて、彼を招待することなくたらふくごちそうを食べているようなもの」とすでに1980年に批判している。 リュク・アルファンは知る人ぞ知るスキーの元名選手。1995年からアルペンスキーW杯滑降で3連覇、1997年には個人総合チャンピオンにもなっている。今度のダカール・ラリーでの勝利で、レーサーへの転身が確かなものになっただけに、「この死亡事故を忘れるわけにはいかないが、それだからといって、私が現在感じていることを、私が成し遂げたことを、台無しにはしたくない」と語り、笑顔で勝利のトロフィーを高々と掲げた。(真) |