昨年11月末以来、国内だけでなく元植民地だったアンチーユ諸島の海外県でも激しく批判され削除が叫ばれていた05年2月 23日法第4条とは「海外、北アフリカ(植民地、特にアルジェリア)でフランスは建設的な役割を果たしたことを教科で認めるべき」と仏植民地政策の有益性を認識させるもの。11月29日、社会党が提出した同条項を削除する案は国民議会で拒否された。
シラク大統領は「仏共和国には公式の歴史は存在しない。歴史は法律が書くものではなくそれは史家の仕事」と言明しているが、保守派政治家がこの条項を提案した背景には、元植民地アルジェリアのピエノワールと呼ばれる仏人入植者や、独立戦争時にフランス側につき戦後本国に引き揚げてきた現地人〈アルキ〉らの圧力があったとみられる。この条項に抗議する19人の歴史家は「歴史に自由を!」と、行政による修正主義政策(?)に抗議し署名運動を行っている。
1635年から1946年まで仏植民地として黒人奴隷制(1848年に廃止)を強いられたマルチニークなどの海外県民にとってこの条項は植民地主義肯定論を意味し、人間の尊厳、アイデンティティー(のちにエメ・セゼールが〈ネグリチュード〉と命名)を抹殺した仏植民地主義への怨念を呼び覚まさずにはおかない。2001年、ギアナ選出議員トビラ氏の提案で〈奴隷制は人類に対する犯罪〉と認められたが、風刺漫談家デュドネなどは、黒人奴隷売買はホロコーストと同次元の人類への犯罪とみなすべきだと喝破する。
12月6日、マルチニークとグアドループを訪問するはずだったサルコジ内相は、両島民の同条項反対デモに押しまくられたばかりか、1945年から2001年までマルチニークのフォール・ド・フランス市長を務めた世界的詩人エメ・セゼール(92歳)にも面会を拒否され、与党UMP総裁としての訪問を中止している。昨年11月、郊外での放火暴動事件の起爆剤となった同内相の暴言〈社会のクズ〉を、海外県人はそこに住む自分たちの息子や家族らに向けられたととったのでは。本国には海外県から約50万人、アフリカ出身者も含めると黒人人口は約500万人。彼らは、外見は目立ちやすいが目に見えない差別を受けているのである。
11月27日、海外県やアフリカ出身者からなる56団体が〈黒人系団体代表評議会〉を結成した。〈自由・平等・友愛〉の国フランスは、宗主国の傲慢さが生んだ植民地主義という歴史の支流をも包含した多人種国家として歩むべき時に来ているのでは。(君)