●Francois Weyergans “Trois jours chez ma mere”
ひさびさにフランス的な小説を読んだ—というのがこの小説を読み終わったあとの正直な感想だ。
「“あなたはみんなを怖がらせる”と、険悪になりかけていた会話にピリオドを打つようにデルフィーヌは昨晩、僕に言った」これが最初の一行。さらに数行読んでみて、惹かれた。
フランス的、というのは、近年のフランス小説的という意味で、これはつまり(あえて危険を承知で端的にいえば)、一人称、比較的わかりやすい文体、短い文章、比喩などの文体修飾のレトリックがあまり見られない、淡々としたストーリー進行。そして社会、自己、あるいは文学に対する考察があるということだ。そしてさらに、ユーモアとエロチシズム(もちろんフランス的なそれ)が加わっている。
具体的にいえば、この小説は、90歳近い一人暮らしの母のところで過ごした3日間についての小説ではなく、「母のもとで3日間」という小説がどうやって書かれたか、という小説であり、最初の一文についても、実は、それが「いい小説の出だし」であるから書かれた、と小説の中でいわれる。そして物語は、小説家に似ている語り手の過去・現在の様々な出来事からなっているが、その語り手は小説を書こうとしており、その中でまた別の語り手が…、と「母のもとで3日間」という小説は書き(はじめ)続けられる。かといって、別にややこしい小説ではない。語りは淡々と続く。
この感じ。文学をこえて、ある種の現代性を反映しているように感じられる。この鬱々、悶々とした感じ、一種の「世紀病」といっては大げさかもしれないが、それでもなにかどんよりとした「今」独特のものだ。
いくつかの文学賞にノミネートされている本作だが、現代フランス文学の動向(!?)とまではいかなくとも、ある種の文学でのフランチ・タッチを垣間見るのにふさわしい作品だ。(樫)
Grasset, 2005, 17.5euros