●Depuis qu’Otar est parti グルジアの首都トビリシ。年老いたエカの楽しみは、パリで生きる息子オタールからの手紙。だが、ほどなく息子は不慮の事故で亡くなる。エカの娘マリナと孫アダは、エカに彼の死を知らせまいと、偽の手紙を書き続ける。(しかし大筋を書くと、いつも作品の本質から遠く離れていく気がするのはなぜ?これは安易なメロドラマでは断じてないのだが) オタールの不在は、エカが彼に注ぐ盲目的な愛へのマリナのいらだちや、嘘で塗り固められることに慣れた小国の運命、そしてそれを断ち切ろうとするアダの意志的な瞳などを浮き彫りにする。若い彼女のラストの決断には、スクリーンに新鮮な風が吹き抜けるよう。カネフスキーの絶対的作品『動くな、死ね、甦れ!』を観た人なら、あの時の少女ディナーラちゃんが、素敵な女優さんに成長していることに感慨もひとしおでは。(瑞) |
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● Good bye Lenin! 一つの街が生まれ変わる。東西ドイツが統合された時のベルリンがまさにそうだ。この作品は、ドイツ近代史における最大のイベントが東ベルリンに住む一家庭にきたす変化を描いていく。統合直前に心臓発作を起こし8カ月間昏睡状態に陥った、社会主義の運動家である母親を思いやる子どもたちは、奇跡的に助かった母親にショックを与えてはならない、と事実をひた隠しにする。その一方で、街は取り壊され、人々は入れ替わり、息子や娘は自由な新生活を満喫する。 一時代の終焉、その後の混沌ですら若者たちにとっては未来への夢と希望であることが象徴的に描かれる、廃墟にあるディスコでの場面がいい。 本作品はドイツで空前のヒットを遂げた。ノスタルジックに、ユーモアたっぷりに、歴史的な資料としてというよりも、老若男女一人一人があの時の自分を思い出しながら見ているのだろう。(海) |
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● Twentynine Palms ブリュノ・デュモンは特異な監督だ。砂漠をめぐる男女二人の様子が描かれる。車がどこまで走っても乾いた土地だけが延々と続き、その裸の自然の中、男女は言い争い、仲直りをし、セックスにふける日々を繰り返す。女の妙な訛りのフランス語に男が訛りの強い英語で答える。ここには一緒にいるのに一緒になれない男女がいる。デュモンの過去の作品『ジーザスの日々』(1997)、『ユマニテ』(1999)でも、主人公たちは感情に押されるように衝動的な暴力行為へ走った。ここでも静かに、けれども突然、暴力が画面を覆う。最後には、アメリカといわれなければ判別のつかない無名の風景が主人公たちを包み込み、魂を奪われた人間の脱け殻は無と化していく。(海) |
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