ヴェルレーヌの「秋風の ヴィオロンの節ながき啜り泣き…」のヴィオロンは、ヴァイオリンの音色ではなく、枯葉のたてる音だという。枯葉のパリは並木道のパリ。19世紀半ばのオスマンによるパリ改造で造園技師アルファンが担当したのが、街路や公園の緑化計画だった。彼は約10年の間に8万7000本もの街路樹を植え、モンソー、ビュットショーモン、モンスリをはじめとする公園を造った。今のパリの緑のほとんどがこの時に出来たものです。
「タクシーはおろか、メトロにも乗らず、パリのすみからすみまで、二本の足で放つき歩くことは、しんどいことではあるが、たのしいことでもある。とりわけ、秋の十月、十一月、街路樹の落葉でレモン色の吹溜りになった袋小路など、古都巴黎ならではの風情がのこっている。 (略) ルクサンブール公園の鉄柵をアレジアに下ってゆく大通りの左側に、じつにみごとな落葉の吹溜りがある。並木の枯葉は悉く、淡いレモン黄になり、日本のような紅紫とりまぜたもみじの絢爛たる金襖もようとはまったく趣を異にしている。」
—金子光晴 『ねむれ巴里』より
リュクサンブールの前と天文台前の並木はマロニエだけれど、光晴が歩いたサンミシェル大通りと、それに続くダンフェ−ル・ロシュロー大通りはプラタナスの並木。たぶん当時もそうだったろう。この「レモン黄」の吹き溜まりは、現在のリュクサンブール駅の南口のあたりか、光晴・三千代夫妻が暮していたダゲ−ル通りに帰る途中だから、あるいはもう少し南の天文台近くだったのかも知れない。光晴のいう10月、11月にはまだ少し間があるけれど、そのぶん日も長く葉もあるから寒風にヒーハ−いわずに歩ける。花の都は木の都。パリの樹木散策に出かけよう。(稲)
photo: Bernard Beraud
パリの木
478000本
年間 5000万フラン
(樹木のみ、除2森)
街路 91000本(1400路)
公園・庭園35000本
墓地 34000本
(パリに14、郊外に6)
外環状道 8000本
学校・運動場9000本
森 300000本
(ヴァンセンヌ995ha
ブローニュ846ha)