日本でも知られるフィリップ・ソレルスの新作『Passion fixe』、そして『ベティー・ブルー』の原作を書いたフィリップ・ジアンの『Vers chez les Blancs』。彼らの新作はいずれも「官能的」だ。
ソレルスにおける「官能」は、小説の中でTaoが多く語られるように、ある意味 (東洋) 哲学的であるのに対し、ジアンにおける「官能」は肉体的、サド文学的(主人公の唯一知っている日本語は “Nawa Shibari”!) といっていい。
ソレルスの小説は「五月革命」後の混沌とした社会を背景とし、年上で弁護士のドラに惹かれ、老子の思考に魅惑される若き語り手の思考は世界を巡り、知的徘徊を堪能する。そしてジアンの小説では、20代に聞いていたSex pistolsの思い出を残し、スランプに陥っている40代の作家である語り手が、苦境から抜け出すために、やはり作家で友人のパトリックの妻ニコルと関係を持つことになり、様々な性の冒険に救いを求めていく。
シラノ・ド・ベルジュラック、ユゴー、プルースト、セリーヌ、バロウズ…と引用が多用され、コラージュのように文章が小刻みに区切られるソレルスの小説は軽快である。逆にジアンの小説では、性行為描写が、行為自体の官能性に劣らない生々しい表現に満ちながらも、背景にある語り手の「生」の苦悩がジアン小説独特の憂いをかもしだしている。
こうしてある意味両極端の二つの小説。映画やインターネットで性が氾濫する現在、それぞれが語り手=作家の視点を通して文学における性的描写についての考察をしている点は興味深い。現代文学は文学を思考してやまないのだ。(樫)
*Passion fixe, Philippe Sollers, Gallimard,
304p. 110F/ Vers chez les Blancs,
Phillipe Djian, Gallimard, 384p. 120F