11月16日オランド大統領は「フランスは戦争に入った」と非常事態を宣言し、議会も3カ月間の続行を承認。国内のモスク指導者を含む「要注意人物」1万人を取り調べ、2千人を家宅捜索、350人を自宅拘束。
だが、9月30日、ロシア軍がシリアに空撃を開始した1カ月後の10月31日、シナイ半島上空でジハードによるロシア旅客機の空中爆発で、すでに戦争は始まっていた。
中東の2大イスラム国、シーア派イランとスンニ派サウジアラビアは、16世紀の40年間、西洋諸国で繰り広げられたカトリック対プロテスタントの宗教戦争と同じ状況にある。カタール、サウジは米仏側、イラン、シリアはロシア側。03年米ブッシュ政権によるイラク侵攻でイラク解体の混乱状態で元フセイン体制派だったスンニ派住民とシーア派とが対立した中で、故ビンラディンの元部下、バグダーディが自認カリフになり、アルカイダやイラクの元軍人・兵士を抱き込み、14年6月、「イスラム国」を設立。 今や「イスラム国」はイラクとシリアで占領地を拡大し続け、シャリーア法による支配を行う。ネットによるプロパガンダで「聖戦」(ジハード)に憧れる国外の若者約2万5千人(仏1千人)をシリアに迎え入れる。85%はコーランも読んだことなく、彼らには八方塞がりの西洋社会から冒険を求めシリアに向かう。軍事訓練により人間性を剥奪され、彼らの「過激イスラム」に改宗しない者は誰でも殺せと洗脳される。シリアに向かった若い女性ら(15%)はジハード兵のセックス奴隷となり、次世代の増殖に協力。
「イスラム国」急成長の裏には、シリアで奪った油田基地からトルコなどへの原油の密輸出や、カタール、サウジからの資金援助も。「イスラム国」の目標は、1916年、仏英がオスマン帝国を解体し、中東を数カ国に分割した地域の国境をなくし、ビンラディンの夢だった、アジア、中東、アフリカまで続く、カリフ王国を再現すること。
政府が警戒しているのはシリアから帰国後のジハード兵による国内テロ。欧州諸国が迎える数十万の難民にテロリストが紛れ込む例などもあり、ムスリム市民は、国民が国民戦線党の難民排斥運動に煽られ、イスラム教徒とテロリストを混同するのを恐れる。
米仏ロ連合軍に英独空軍も参加し「イスラム国」を攻撃できても、彼らの反西洋文明思想の根絶はひと筋縄ではいかないはず。彼らは、フランス革命の遺産「自由・平等・友愛」精神とライシテ(政教分離)社会に敵対しているのだから。(君)