「暴動ではなく、革命のはずだった」。 2005年11月、フランス各地で3週間にわたり、毎夜火柱が上がった。パリ郊外から広がった、若者による「暴動」から10年。郊外の低所得者向け住宅が集まる地域の住民は、変化を感じられていないようだ。
2005年10月27日夕方、パリの北に位置するクリシー・ス・ボワ市。サッカーから帰宅途中の少年グループが、通りかかった警察官に職務質問を受けた。身分証明書を持っていなかった少年たちは、散り散りに逃げた。ゼイド君(17歳)とブナ君 (15歳)は、変電所の敷地内に逃げ込み、警官たちは撤退。やがて地域で停電が起こった。少年二人が変電所内で感電死したのだ。
事件を知った地域の若者たちが、同日夜から連夜、警察官や消防隊に抗議し、投石、車両への放火などを行った。10月30日、警察はクリシー・ス・ボワのモスクに突入し、信者に催涙ガスを発射。イスラム教徒への攻撃と捉えた若者たちの怒りは爆発。暴動は拡大し、パリと近郊の町、さらにフランス全土で、車両や学校などが破壊され、放火された。放火に巻き込まれるなどして、パリ郊外と東部のブザンソンで住民2人が死亡。11月9日、政府は50年ぶりに非常事態宣言を発令した。暴動は17日まで3週間続いた。警察の人種差別的な取り締まりに対する若者の不満や、地域ごとの経済格差に対するいらだちが表面化した。
10年後の今年10月末、新聞各紙は特集を組んだ。10月25日付のル・パリジャンは、当時21歳で、パリ郊外で暴動に参加したアダマさんに話を聞いた。少年2人の死を知り、警察への憤りから、毎夜数十人の友人と、歩道を壊したりしたという。「たまっていた警察への不満が爆発した。暴動ではなく、革命のはずだった」
だが、革命は起きなかった。少年2人が変電所内に逃げ込んだことを知っていながら、感電を防ごうとしなかったとして刑事責任を問われていた警察官2人は、今年5月、無罪判決を受けた。
地域による社会格差は縮まらず、最新の国の調査では「脆弱な都市区域(Zone urbain sensible)」の住民の年間所得は、全国平均の56%にとどまり、15歳から64歳までの就業率は、全国平均を10ポイント下回っている。無職の若者が手を出す麻薬の売買は、組織化が進んだとされ、警官と若者の緊張も続いている。
暴動に参加したアダマさんは、「直後は効果があったが続かなかった。今は変化は感じられない」と嘆いた。不満が爆発する火種は、今もくすぶっている。(重)