ユゴーは赤身の肉、特に羊の肉が好物だった。食事のメニューを変えることを好まず、何度でも同じものを繰り返し食べたという。
それは、ワインにしても同じこと。自作の演劇『L’intervention』(1866年)に登場するセルピヴラック男爵には「サヴォワのワインとフランボワーズの味の違い、モーゼルのワインとスミレの味の違い、モンテリマールのクリュとヌガーの味の違いを判別出来るようになったとき、一人前の男になったと感じたものさ」という、分かるような、分からないような、何とも気取ったセリフを言わせているけれど、ユゴー自身が普段飲むワインはいつも決まっていたそう。
残念なことに、ユゴーが毎日飲んだワインがどんなものだったかは記録に残っていないけれど、しまり屋のユゴーのこと、決して高級ワインではなかったはず。友人たちが文豪に敬意を示して贈った貴重なワインにも、たいして関心をいだかなかったらしい。
ある時など、浪費癖のある子供たちに向けて、こんな手紙を書いている。「きみたちの金の使いかたのことで話したいことがある。どうもきみたちは居酒屋の主人にぼられているのではないかと思うがどうだろう。(略)この分でいくと、一年間だけでぶどう酒代に二千フラン以上もかかることになる。くれぐれも気をつけてもらいたい!……」。
一方で、ユゴーは貧しい子供たちに(当時の研究結果を参考に、健康にいいと思って)ワインをふるまうような慈悲深さがあった。そんな姿勢は、『レ・ミゼラブル』(1862年)に出てくるミリエル司教にもあらわれる。普段は清貧をつらぬいている司教が、見ず知らずの飢えた客に温かい食事と高級ワインを供する場面がある。「男は食事をしているうちに元気づいて参りました。兄(ミリエル司教)は彼にモーヴのいいぶどう酒を飲ませました。それは高価なものだといって兄自身飲まなかったものなのです」。(豊島与志雄訳) ユゴーにとって、贅沢とは、誰か他の人と分かち合うときにその価値を発揮するものだったのだろう。(さ)