ユゴーにはどこか贅沢や美食に対する罪の意識があったせいか、作品中で事細かに食風景が語られることは稀だ。庶民や貧民がいかに飢えているかを描くときにこそ、その筆には力がこもる。
そんな中、『レ・ミゼラブル』(1862年)に登場するボンバルダ料理店についての一節は珍しく勢いがある。シャンゼリゼにあるその料理店の「大皿と小皿や杯やびんなどが楽しげに並べられた」テーブルに陣取るのは4組の若者カップル。20歳の彼らが囲むテーブルは、上も下もにぎやかでリズミカルだ。
ところが、この中のリーダー格トロミエスの演説はというと、やはりどこか説教じみている。「婦人諸君、君たちはリンゴ菓子が好きだ、しかしやたらに食べてはいけない。リンゴ菓子にも才能と技術とを要する。大食はそれをなす者を害する。大食大食漢を罰すだ。消化不良は神の命を受けて胃袋に訓戒をたれる。」 (豊島与志雄訳)
せっかくの楽しい時間に水を差すようなトロミエスだけれど、田舎から出てきたファンティーヌ、「いわば民衆の奥底から花を開き出したともいえるような者の一人」である若く美しい女にとっては、この男は学がある輝かしい男に見えた。このふたりの間にできた子供が『レ・ミゼラブル』の中心人物となるコゼット。ファンティーヌはこの子供を女手ひとつで苦労して育てることになるけれど、男に対しての恨みつらみは描かれていない。
このファンティーヌとつい重ねてしまうのが、盲目的にユゴーを崇拝する愛人のジュリエット。ユゴーは女優として華やかな暮しをしていた彼女に清貧を説いた。その食卓に上ったのは牛乳とチーズと卵だけ、夕方にりんごが一個。ところがジュリエットはそのことを恨みに思うことなく、むしろそんな生活をいつくしみ、「私の醜い過去を御存じでいながら私を愛してくださるなんて、あなたはなんという立派な、けだかいかたなのでしょう」と、ユゴーに感謝していたという。まさに、恋は盲目。(さ)