フランスに移住したり、フランスでコレクションを発表し続けた重要な外国人ファッションデザイナーの作品を出身国別に紹介している。地味に見られがちな移民歴史博物館だが、それを覆すかのようにガリエラ美術館の協力のもとで行う、華やかな、しかしこの博物館ならではの視点が光るファッション展だ。
説明を読みながら進むと時間がかかるが、それをしなければ見る意味がない。虐殺、革命、独裁などを逃れてフランスにやってきた人たちの物語が、作品だけでなく、パスポートなどの資料とともに紹介されているからだ。ロシア革命を逃れてフランスに亡命した貴族のフェリックスとイリナ・ユスポフ夫妻は、1924年にオートクチュールの店「イルフェ」を創立し、ロシアの洗練された刺繍技術を伝えた。スペイン貴族に生まれ、内戦を逃れてパリで外交官を目指したアントニオ・デル・カスティーヨは、服飾を学び、ランヴァンのメゾンを継いだ。マドリードやバルセロナで店を開いていたクリストバル・バレンシアガも、内戦を避けてパリに移住した。多くのデザイナーがフランス国籍を取得していく中で、父親をフランコ軍に銃殺され、ピレネー山脈を越えて亡命したパコ・ラバンヌは、フランコ政権崩壊後、1981年に亡命者身分が取り消されるまで、亡命者のままだった(現在はスペイン国籍)。
ファッションを通して現代史が見えてくる。異なる文化圏の人々の発想や技術がデザインに新しい息吹をもたらし、若い世代に影響を与えていった。イタリアのマリアノ・フォルチュニィが創作した20世紀初頭の絹のプリーツが三宅一生のプリーツと並べて展示されており、両者の関連性が興味深い。
異色なのは、70年代末、マスコミから「ぼろ着」「原爆後」などの表現で過激なバッシングを受けた日本人デザイナー (特に川久保玲、山本耀司)のコーナーだ。彼らがコレクションを発表した当時の新聞や雑誌を読むと、ヨーロッパ的な価値観に合わないものは受け入れないという驕(おご)りと、経済大国になりつつあった日本からの異分子の流入に対する恐れがフランスのファッション業界にあったようだ。 (羽)
5月31日迄 (月休) 火〜金 10h-17h30(土日-19h)
Musée de l’Histoire de l’Immigration
293 av. Daumesnil 12e M°Porte Dorée
画像:Cristóbal Balenciaga, ensemble robe et cape, haute couture P/E 1962. Faille de soie imprimée
Collection Palais Galliera, musée de la Mode de la Ville de Paris © Spassky Fischer