19世紀の文豪には大食漢が多かったが、ユゴーもその例にもれず。ユゴーの友人であり、作家・詩人・批評家のサント=ブーヴは「自然史には3つの偉大な胃袋が存在している。鴨、鮫、そしてヴィクトル・ユゴーのものだ」と言ったとか。「山猫の歯のように頑丈な歯、桃のたねを砕くことができた歯」を持ち、「巨大な野獣のようなたくましい体力」に恵まれたユゴーは、晩年まで精力的に仕事をし、その性欲も最後まで衰えることがなかった。
そんな作家も駆け出しの文学青年の時には貧乏暮らしを余儀なくされ、食生活も惨たんたるものだった。その頃の様子は、『レ・ミゼラブル』(1862年)に登場するマリウス青年に投影されている。「彼はいわゆる怒った牝牛という名状すべからざるものを食ったのである。(困窮のどん底に達するの意)。それは実に恐るべきもので、一片のパンもない日々、睡眠のない夜々、蝋燭のない夕、火のない炉……」。マリウスは「八百屋でブリーのチーズを一スーだけ買い、夕靄(ゆうもや)のおりるのを待ってパン屋へ行き、一片のパンをあがなって、あたかも盗みでもしたようにそれをひそかに自分の屋根部屋へ持ち帰ることもあった」し、羊の肉を一片買い、「初めの日は肉を食い、二日目はその脂を吸い、三日目にはその骨をねぶった」ことも。(豊島与志雄訳)
「負債は奴隷の初まり」、「債権者は奴隷の主人よりも悪い」とするマリウスは、威厳を守るために時には絶食を選んだ。ユゴー自身も、どんなに苦しくても(同時代のデュマやバルザックとは違って)借金だけはしなかった。お金には几帳面な性格で、愛人や貧しい人に何かを施す時も、その記録を帳面につけていたそう。後に亡命することになったのも政治的なことが理由で、借金逃れのためにフランスを離れたデュマとはずいぶん事情が異なる。(さ)